山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん
山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG
2023年
07月20日
(木曜日)
休診のお知らせ
休診のお知らせです。
7月27日(木)は、所用のため、午後休診と致します。
患者様には大変ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願いいたします。
7月27日(木)は、所用のため、午後休診と致します。
患者様には大変ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願いいたします。
Title: 休診のお知らせ >>
2019年
03月29日
(金曜日)
”ショーケン”とコンビーフ
こんにちは
院長の山口です。
いよいよ、「平成」も終わりが近づいてきました
昭和生まれの私としては、どうやらこのままでいくと「昭和」「平成」「○○」と三つの元号を生きてきたことになりそうです。
私が小学生の時には「明治」生まれの方も沢山いらっしゃり(当時100歳以上の方は江戸時代の「慶応」生まれのかたもいらっしゃいました!)、「明治」「大正」「昭和」と生きてこられた方を見て凄いなと思った記憶があります。
そんな「平成」の終わりに「ショーケン」さんが亡くなられたというニュースが飛び込んできてビックリしました。
「ショーケン」こと萩原健一さんは、元々グループサウンズからの「PYG]というバンドのボーカルから俳優になられました。
同じくボーカル担当していた沢田研二さんはソロとして活躍されているのは有名ですね。
私がショーケンを知ったのが、昭和47年から放映された「太陽にほえろ」の”マカロニ”刑事でした。
それよりももっと記憶に残ったのは、「傷だらけの天使」でした。
まだ私が小学5年生?の頃だったか・・・子供ながらショーケンと水谷豊をカッコいい!と思って見てました。
とくに記憶に残っていたのがオープニングの映像!
そう、朝食を食べるあのシーン!

このコンビーフが当時美味しそうでたまらんかったです。
ちょっと前にBSで「傷だらけの天使」を放映してたので、全部録画してました!
ショーケンの出演した「太陽にほえろ!」と「傷だらけの天使」の音楽は、PYGのギターを弾いていた井上堯之が作ったバンド、「井上堯之バンド」が演奏していました。
私がはじめて買ってもらったレコードがこれでした!

その井上堯之さんも昨年にお亡くなりになってしまいました・・
小坊の頃、「太陽にほえろ!」をみて”デカ”に憧れ、「傷だらけの天使」をみて”カッコいい大人のお兄さん”に憧れ、「俺たちの旅」を見て大学生に憧れ・・・
そんな頃を思い出してしまいました・・・
ご冥福をお祈りします・・・・

院長の山口です。
いよいよ、「平成」も終わりが近づいてきました

昭和生まれの私としては、どうやらこのままでいくと「昭和」「平成」「○○」と三つの元号を生きてきたことになりそうです。
私が小学生の時には「明治」生まれの方も沢山いらっしゃり(当時100歳以上の方は江戸時代の「慶応」生まれのかたもいらっしゃいました!)、「明治」「大正」「昭和」と生きてこられた方を見て凄いなと思った記憶があります。
そんな「平成」の終わりに「ショーケン」さんが亡くなられたというニュースが飛び込んできてビックリしました。
「ショーケン」こと萩原健一さんは、元々グループサウンズからの「PYG]というバンドのボーカルから俳優になられました。
同じくボーカル担当していた沢田研二さんはソロとして活躍されているのは有名ですね。
私がショーケンを知ったのが、昭和47年から放映された「太陽にほえろ」の”マカロニ”刑事でした。
それよりももっと記憶に残ったのは、「傷だらけの天使」でした。
まだ私が小学5年生?の頃だったか・・・子供ながらショーケンと水谷豊をカッコいい!と思って見てました。
とくに記憶に残っていたのがオープニングの映像!
そう、朝食を食べるあのシーン!

このコンビーフが当時美味しそうでたまらんかったです。
ちょっと前にBSで「傷だらけの天使」を放映してたので、全部録画してました!
ショーケンの出演した「太陽にほえろ!」と「傷だらけの天使」の音楽は、PYGのギターを弾いていた井上堯之が作ったバンド、「井上堯之バンド」が演奏していました。
私がはじめて買ってもらったレコードがこれでした!

その井上堯之さんも昨年にお亡くなりになってしまいました・・
小坊の頃、「太陽にほえろ!」をみて”デカ”に憧れ、「傷だらけの天使」をみて”カッコいい大人のお兄さん”に憧れ、「俺たちの旅」を見て大学生に憧れ・・・
そんな頃を思い出してしまいました・・・
ご冥福をお祈りします・・・・

Title: ”ショーケン”とコンビーフ >>
2018年
05月22日
(火曜日)
B20型蒸気機関車~整備開始! ~一応完了!~
こんにちは
院長の山口です。
前回載せた写真です。

これでは実車は走りません。
仕方なくもう一回分解して、再度組立てなおしました(T_T)
それがこれです。

はい。主蒸気管がありませんでした(笑)
主蒸気管とはボイラーで作られた蒸気をシリンダーに送るパイプですね。
とりあえず、B20型蒸気機関車のレストア整備が終了です。
もし、再取り付けするのにハンダを外して再組立て・・・・・
とというような模型であれば、多分気が重くなるでしょうね(´・_・`)
今回は、金属性車両の整備でしたが、車体はダイキャスト製だし特に細部は触らずでした。
ハンダもモーター周りの配線のやり直しだけでした。
最初は客車の室内灯点灯整備から始めましたが、実は客車も「TOMIX」や「KATO]製だけでなく、真鍮製の「カツミ」製や「宮沢模型」製、その他「フジモデル」製などの客車が沢山あるので、この辺も室内灯、尾灯、室内装備(座席など)の改造整備もやらなくてはと思います・・・・・
あと、編成物である以下の車両。
電車では、「485系」「475系」「165系」(「581系」は整備済み?)
気動車では、「キハ80系」「キハ58・28系」「キハ10系」「キハ30.35系」
客車では、「12系」「14系」「20系」「24系」
このあたりも室内灯などの装備も進めなくては!と思ってます。
が・・・・
やはり、金属製(真鍮製)模型をもう少しレストアしてみようかなと!(^∇^)ノ

院長の山口です。
前回載せた写真です。

これでは実車は走りません。
仕方なくもう一回分解して、再度組立てなおしました(T_T)
それがこれです。

はい。主蒸気管がありませんでした(笑)
主蒸気管とはボイラーで作られた蒸気をシリンダーに送るパイプですね。
とりあえず、B20型蒸気機関車のレストア整備が終了です。
もし、再取り付けするのにハンダを外して再組立て・・・・・
とというような模型であれば、多分気が重くなるでしょうね(´・_・`)
今回は、金属性車両の整備でしたが、車体はダイキャスト製だし特に細部は触らずでした。
ハンダもモーター周りの配線のやり直しだけでした。
最初は客車の室内灯点灯整備から始めましたが、実は客車も「TOMIX」や「KATO]製だけでなく、真鍮製の「カツミ」製や「宮沢模型」製、その他「フジモデル」製などの客車が沢山あるので、この辺も室内灯、尾灯、室内装備(座席など)の改造整備もやらなくてはと思います・・・・・
あと、編成物である以下の車両。
電車では、「485系」「475系」「165系」(「581系」は整備済み?)
気動車では、「キハ80系」「キハ58・28系」「キハ10系」「キハ30.35系」
客車では、「12系」「14系」「20系」「24系」
このあたりも室内灯などの装備も進めなくては!と思ってます。
が・・・・
やはり、金属製(真鍮製)模型をもう少しレストアしてみようかなと!(^∇^)ノ
Title: B20型蒸気機関車~整備開始! ~一応完了!~ >>
2017年
12月07日
(木曜日)
田舎の終活 ~はたして終わるのかなー?
こんにちは
院長の山口です。
前回は、母屋を除く古い納屋や蔵の処分、井戸の処分などが何とか達成するところまでを書きました。
私は仕事もあり、そんなに手伝うことは出来ませんでしたが、父は何十往復として少しずつ進めていったようです。
もう運転もしないので、電車での移動もありほんと大変だったと思います。
んで、私が一緒に行くときは車を出し、たくさんの荷物や残しておくものを実家まで運びます。

ちなみに外回りはこんなにすっきりとしました。
ちなみに母屋以外は、以前に納屋のあったところに、プレハブの倉庫を建ててその中に収納しております。
さて、母屋の中ですが、これが大変!!
昔からある重要なものから、生活用品、家具、衣類などまで膨大な物の整理と廃棄が待ってます。
これは、何度かうちも家族総出で手伝いに行きました
もちろん父は平日もせっせと後片付けに足を運んでました。
・・・でも私は知ってます。父が頑張る動機が何であるか!
そうです、なにか家の中に「お宝」があるのではないかとワクワクして片づけてることを。。。(笑)
基本は廃棄するものばかりなので、いらないものはどんどん捨てていきます。
写真なんか撮ってるヒマはありません!
そしてなんとか片付いてきました。

仏間と床の間がある奥座敷です。
床の間の横に沢山の箱は掛け軸で、あとでゆっくり「お宝」か調べるつもりでしょうか?(笑)

奥座敷の手前の座敷?
右上の額縁には、〇賀市の市長さんから祖父宛へと書かれています。
私の祖父と祖祖父は政治家さんでした・・・・

座敷と縁側です。
縁側の向こうは、昔はそれはそれは大きな池のあるお庭がありました。
欄間がすごくいいです。

ここは、屋敷の中で唯一の洋間、応接室です。
ここいは先祖代々の色々な興味深いものが置いてありました。

ここは居間です。
建て替える前の家もここが居間でした。

台所です。
ここまで綺麗にするのは大変だったと思います。
それにしても広い!
流し台は右手にずっと続いています。
田舎では、さまざまな行事を自宅でやることが多かったからでしょうね。

ここは2階にある座敷です。
よくわかりませんが、錦鯉の大会の賞状があります。

ここも2階。出窓があります。
ここも畳が見えないくらいのいろんな物で一杯でした。

とにかくここまでの状態までするのに父は大変だったと思います。
蔵などの解体と産廃の依頼くらいで、あとは自力でやっていたようですから。
この状態にして、だれか借りてくれたらいいなーということで、動き出しました。
私も今回初めて家の中を細かく見ることになりましたが、立派なお家でびっくりしました。
終活というのも大変ですね。

院長の山口です。
前回は、母屋を除く古い納屋や蔵の処分、井戸の処分などが何とか達成するところまでを書きました。
私は仕事もあり、そんなに手伝うことは出来ませんでしたが、父は何十往復として少しずつ進めていったようです。
もう運転もしないので、電車での移動もありほんと大変だったと思います。
んで、私が一緒に行くときは車を出し、たくさんの荷物や残しておくものを実家まで運びます。

ちなみに外回りはこんなにすっきりとしました。
ちなみに母屋以外は、以前に納屋のあったところに、プレハブの倉庫を建ててその中に収納しております。
さて、母屋の中ですが、これが大変!!
昔からある重要なものから、生活用品、家具、衣類などまで膨大な物の整理と廃棄が待ってます。
これは、何度かうちも家族総出で手伝いに行きました
もちろん父は平日もせっせと後片付けに足を運んでました。
・・・でも私は知ってます。父が頑張る動機が何であるか!
そうです、なにか家の中に「お宝」があるのではないかとワクワクして片づけてることを。。。(笑)
基本は廃棄するものばかりなので、いらないものはどんどん捨てていきます。
写真なんか撮ってるヒマはありません!
そしてなんとか片付いてきました。

仏間と床の間がある奥座敷です。
床の間の横に沢山の箱は掛け軸で、あとでゆっくり「お宝」か調べるつもりでしょうか?(笑)

奥座敷の手前の座敷?
右上の額縁には、〇賀市の市長さんから祖父宛へと書かれています。
私の祖父と祖祖父は政治家さんでした・・・・

座敷と縁側です。
縁側の向こうは、昔はそれはそれは大きな池のあるお庭がありました。
欄間がすごくいいです。

ここは、屋敷の中で唯一の洋間、応接室です。
ここいは先祖代々の色々な興味深いものが置いてありました。

ここは居間です。
建て替える前の家もここが居間でした。

台所です。
ここまで綺麗にするのは大変だったと思います。
それにしても広い!
流し台は右手にずっと続いています。
田舎では、さまざまな行事を自宅でやることが多かったからでしょうね。

ここは2階にある座敷です。
よくわかりませんが、錦鯉の大会の賞状があります。

ここも2階。出窓があります。
ここも畳が見えないくらいのいろんな物で一杯でした。

とにかくここまでの状態までするのに父は大変だったと思います。
蔵などの解体と産廃の依頼くらいで、あとは自力でやっていたようですから。
この状態にして、だれか借りてくれたらいいなーということで、動き出しました。
私も今回初めて家の中を細かく見ることになりましたが、立派なお家でびっくりしました。
終活というのも大変ですね。

Title: 田舎の終活 ~はたして終わるのかなー? >>
2017年
12月06日
(水曜日)
田舎の終活のはじまりー!
こんにちは
院長の山口です。
4~5年前くらいから?か、私の父の先祖代々の家や畑、田んぼなどの終活を始めました。
私が小さい頃、よく連れて行ってもらった所謂「田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃんのおうち」である。
江戸時代から続く福井県にある山口家もいよいよ住む人がいなくなってしまったからである
仕方がない。
ひょっとしたら私が田舎暮らしをしたくなった時のためにおいておこうとも思ったのだが・・・
住む気もないし・・
弟もいらんらしいし・・・・
更地にすると固定資産税が高いし、しばらく空家で置いといたのだが、逆に不用心だしどーしたものかと考えていた。
まずは田んぼは、隣接の人に買ってもらう、あるいは譲渡する、あるいは農協に委託するとかで処分するのだが、場所の悪いところは売れない。
畑も荒れ放題。
山もあるそうだが、そんなのどんな境界になているのか今となってはわからないし。。。
将来的ににどうするかはまた考えることにして、またうちの父も、もう高齢ですし父の終活の一部でもあるので、「田舎の終活」を進めてきました。

私が小さい頃夏休みや冬休みに泊まりに行っていた頃の写真であります。
もちろん、台所は土間にあり、もちろんかまどでした!
まだかまどの灰が温かいと猫が中に潜っていました。
そのまま出てくると一面灰だらけ!
これが、「結構毛だらけ猫灰だらけ!」ってやつです。
関係ないですが、私が小学生の頃は猫が2匹いて、名前はオスの”パンダ”とメスの”チー”。
猫は代が変わってもずっと飼ってました。
お風呂はもちろん、五右衛門風呂!
マキで焚きます。
最初は怖くて湯船に浮いている板に乗れず入れませんでしたが、そのうち慣れて入ってました。
囲炉裏はさすがにもう使用してませんでしたが、天井とかは煤で真っ黒だったと記憶してます。

玄関の前は異様に広く、敷地内は「蔵」や「納屋」が建っており、小さい頃は入るのも怖かった記憶があります。
その後忘れましたが昭和56年頃に建て替えをしましたが、このころはもう高校生でしたので、新しい家にはほとんど行ったことがありませんでした。

左上が直近の母屋の玄関あたりです。
左中は車庫と屋外のトイレ。まあ便所ってやつです。小さい頃は祖父が”天然の肥料”をくみ上げ一緒に畑までついて行った覚えがあります(笑)
右上は蔵で、もう外壁が崩れかけて崩壊寸前です。
左中は表玄関と勝手口付近。
中中は車庫と屋外トイレ
右中は蔵を道路から見た様子です。
下左は勝手口です。
下中は、まずは入口にある大きなお庭の解体の様子。そして下左は崩壊寸前の蔵を解体したところです。
蔵の中や納屋の中にはいろんなものが保管されていました。
大きなものでは脱穀機とか石臼とか・・
あと、立派な食器や壺など・・・
父は、
「絶対お宝が埋まってるはずや!」
とか言いながら楽しんでおり、時々古物商の人を呼んで鑑定を楽しんでました・・・(笑)

そしていくつかある井戸も埋戻しをします。
お祓いをしてから埋戻しをします。
井戸には、「井戸の神様」「水神様」がいるので、呼吸ができるように、それとそこから出ていけるように空気抜きのパイプを入れておきます。
・・・・・そんなの知らんかった・・・・・

こうして、小さい頃井戸に冷やしたスイカとか、セミやクワガタやカブト虫がいっぱいいた私の田舎の想い出は心の中のものになりました。
しかしこれでおわりではありません!
母屋の整理が残ってます。
これがまた大変でございました・・・・

院長の山口です。
4~5年前くらいから?か、私の父の先祖代々の家や畑、田んぼなどの終活を始めました。
私が小さい頃、よく連れて行ってもらった所謂「田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃんのおうち」である。
江戸時代から続く福井県にある山口家もいよいよ住む人がいなくなってしまったからである

仕方がない。
ひょっとしたら私が田舎暮らしをしたくなった時のためにおいておこうとも思ったのだが・・・
住む気もないし・・
弟もいらんらしいし・・・・
更地にすると固定資産税が高いし、しばらく空家で置いといたのだが、逆に不用心だしどーしたものかと考えていた。
まずは田んぼは、隣接の人に買ってもらう、あるいは譲渡する、あるいは農協に委託するとかで処分するのだが、場所の悪いところは売れない。
畑も荒れ放題。
山もあるそうだが、そんなのどんな境界になているのか今となってはわからないし。。。
将来的ににどうするかはまた考えることにして、またうちの父も、もう高齢ですし父の終活の一部でもあるので、「田舎の終活」を進めてきました。

私が小さい頃夏休みや冬休みに泊まりに行っていた頃の写真であります。
もちろん、台所は土間にあり、もちろんかまどでした!
まだかまどの灰が温かいと猫が中に潜っていました。
そのまま出てくると一面灰だらけ!
これが、「結構毛だらけ猫灰だらけ!」ってやつです。
関係ないですが、私が小学生の頃は猫が2匹いて、名前はオスの”パンダ”とメスの”チー”。
猫は代が変わってもずっと飼ってました。
お風呂はもちろん、五右衛門風呂!
マキで焚きます。
最初は怖くて湯船に浮いている板に乗れず入れませんでしたが、そのうち慣れて入ってました。
囲炉裏はさすがにもう使用してませんでしたが、天井とかは煤で真っ黒だったと記憶してます。

玄関の前は異様に広く、敷地内は「蔵」や「納屋」が建っており、小さい頃は入るのも怖かった記憶があります。
その後忘れましたが昭和56年頃に建て替えをしましたが、このころはもう高校生でしたので、新しい家にはほとんど行ったことがありませんでした。

左上が直近の母屋の玄関あたりです。
左中は車庫と屋外のトイレ。まあ便所ってやつです。小さい頃は祖父が”天然の肥料”をくみ上げ一緒に畑までついて行った覚えがあります(笑)
右上は蔵で、もう外壁が崩れかけて崩壊寸前です。
左中は表玄関と勝手口付近。
中中は車庫と屋外トイレ
右中は蔵を道路から見た様子です。
下左は勝手口です。
下中は、まずは入口にある大きなお庭の解体の様子。そして下左は崩壊寸前の蔵を解体したところです。
蔵の中や納屋の中にはいろんなものが保管されていました。
大きなものでは脱穀機とか石臼とか・・
あと、立派な食器や壺など・・・
父は、
「絶対お宝が埋まってるはずや!」
とか言いながら楽しんでおり、時々古物商の人を呼んで鑑定を楽しんでました・・・(笑)

そしていくつかある井戸も埋戻しをします。
お祓いをしてから埋戻しをします。
井戸には、「井戸の神様」「水神様」がいるので、呼吸ができるように、それとそこから出ていけるように空気抜きのパイプを入れておきます。
・・・・・そんなの知らんかった・・・・・

こうして、小さい頃井戸に冷やしたスイカとか、セミやクワガタやカブト虫がいっぱいいた私の田舎の想い出は心の中のものになりました。
しかしこれでおわりではありません!
母屋の整理が残ってます。
これがまた大変でございました・・・・
Title: 田舎の終活のはじまりー! >>
2017年
05月17日
(水曜日)
ドクターイエロー!
Title: ドクターイエロー! >>
2015年
07月23日
(木曜日)
夏本番、天神祭です!
こんにちは
院長の山口です。
今日23日はギャル神輿の日です。
うちの診療所は商店街を見下ろせる2階ですので、状況によって神輿が通るのがよく見えます。
診療しているので、大概は「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声だけしか聞けませんが、たまたま診療がなかったので、スタッフとギャル神輿を見物できました!

院長の山口です。
今日23日はギャル神輿の日です。
うちの診療所は商店街を見下ろせる2階ですので、状況によって神輿が通るのがよく見えます。
診療しているので、大概は「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声だけしか聞けませんが、たまたま診療がなかったので、スタッフとギャル神輿を見物できました!

Title: 夏本番、天神祭です! >>
こんにちは
院長の山口です。
またまた続きです。
近江塩津駅。
ほとんど人家もなく静かな駅なのですが、ここは北陸線と湖西線が合流するので数多くの列車が通過します。

大阪から北陸へ向かう「サンダーバード号」が駆け抜けていきます。
列車が来ないときはとても静かな駅です。

おなじような列車で、名古屋から北陸に向かう「しらさぎ」というのがあり、ひっきりなしに特急列車が通過します。
私には、「サンダーバード」か「しらざき」か区別がつきませんが・・・
さて、近江塩津発10時56分の新快速の米原方面行がやってきましたのでそれに乗ります。

でも、なぜか「回送」の表示ですね。
ここから、北陸線を米原方面へ一気に琵琶湖線の草津まで乗車します。
このあたりからしばしウトウト。
米原駅は明治22年開業。
以前にも書いた長浜ー敦賀よりも新しい駅です。
院長の山口です。
またまた続きです。
近江塩津駅。
ほとんど人家もなく静かな駅なのですが、ここは北陸線と湖西線が合流するので数多くの列車が通過します。

大阪から北陸へ向かう「サンダーバード号」が駆け抜けていきます。

列車が来ないときはとても静かな駅です。

おなじような列車で、名古屋から北陸に向かう「しらさぎ」というのがあり、ひっきりなしに特急列車が通過します。
私には、「サンダーバード」か「しらざき」か区別がつきませんが・・・
さて、近江塩津発10時56分の新快速の米原方面行がやってきましたのでそれに乗ります。

でも、なぜか「回送」の表示ですね。
ここから、北陸線を米原方面へ一気に琵琶湖線の草津まで乗車します。
このあたりからしばしウトウト。
米原駅は明治22年開業。
以前にも書いた長浜ー敦賀よりも新しい駅です。
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