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山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん

山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG

2018年

12月18日

(火曜日)

猫寺に行ってきました・・・(=^・^=) 続き・・・

こんにちは
院長の山口です。

さてにゃんこのもぐもぐタイムです。
朝と夕方の2回あります。

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お寺の方が”雨どい食器”をずらっと並べます。

にゃんこが集まってきますw(゚o゚)w

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端からザーっとご飯を入れていきます。

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お腹が減ってる軍団でしょうか・・?
もう、もちろん私の膝の上にいた”なずな”ちゃんは膝には居りません(笑)

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真ん中にいますね(゚∀゚)

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一心不乱に貪ってますね

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見てて癒されます(*≧∪≦)

お腹いっぱいになると、にゃんこたちはそれぞれ居心地のいい場所をさがしてゆっくりしてます。

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帰りにおみくじを引いて帰ります。

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このおみくじのお金も、にゃんこちゃんの治療費など維持費に充てられているとの事。

見物に来られている方が、自分で育てたいと譲り受けて連れて帰ることも多いとか。


カワイイにゃんこたちがみんな幸せに暮らしていければいいなーと思いました。

2018年

12月14日

(金曜日)

猫寺に行ってきました・・・(=^・^=)

こんにちは
院長の山口です。

私の福井の田舎でも常時猫を飼っていました。
飼っていたというか、都会とちがって全く自由に外へ行ったり・・。お腹が空くと帰ってきたり・・・
部屋で寝てる時もあれば、外泊したり・・そんな感じでした。

私の実家も猫を飼っていましたが、住宅街でしたので、基本はお家の中で、たまに首輪を付けて庭にだしたりしてました。

というわけで、ワンコも好きですが、猫は結構馴染みがありました。

最近は猫ブームとかで結構猫だけのテレビ番組などもやってたりしてますが、観ていると全国に「猫のいる島」とかがあるそうです。

福井県にも「猫寺」なる猫が沢山いるお寺があることを知り、行ってみました。

CIMG2066.jpg

福井県の武生インターから結構近いところにそれはあります。

お寺の名前は「御誕生寺」というそうで、本山は総持寺のようですので、曹洞宗のお寺ですね。

でも歴史は浅くて、写真に写ってる本堂も平成20年に出来たみたいです。

この頃に助けた数匹の猫をきっかけに、最多時は100匹くらいの猫がいたそうな。

すべての猫に名前を付けて、病気や怪我の治療や、1日2回のエサやりとかを、お寺の方や篤志家の力で保護しているそう。
テレビなどで有名になり、「猫寺見学ツアー」なるものも行われているとの事。
もちろん引き取って飼いたいという方には譲渡しています。

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こんな石像もあります( ^ω^ )

境内には様々なところに猫がうろうろしてたりします。

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まだ子供かな?首輪をしています。

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中々、野良猫には見えない恰幅のよさそうな猫ですね。

みんなカワイイじゃーないか(^∇^)

ベンチに座って、いろんなにゃんこを見ながら”食事タイム”がくるまで待っておこう。

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・・・・1匹のにゃんこが私を睨んでる・・・?

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じっと座ってこっちを見てます。
それにしても凄い目つきですねー(°_°)

すると、ゆっくり歩いてきて一歩一歩確認するように私の膝の上に上がってきましたw(゚o゚)w

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もう全く動こうとしません。

基本的にここの猫は人には慣れているようですが、撫でようとしたりすると逃げていくみたいで、他の見物客が寄ってきて、私に
「珍しいですね乗って来るなんて。猫が好きなんですか?」
って聞いてきたりしました。

どれどれ、どんな顔して乗っかっているのかな・・・?

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・・・かわいいじゃないか・・・(*´~`*)


首輪にはネームプレートが。
名前は”なずな”か・・・・
メスだな・・(勝手に想像しております)

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首にバンダナ(ハンカチ?)を巻いている猫は、療養中の印だとか…


さて、”食事タイム”が近づいているのがわかっているのか、猫たちは社務所の前に少しずつ集まってきました。
お寺の方が猫の”お皿”を置いていきます。


さあ、”もぐもぐタイム”です・・・続く

2018年

12月10日

(月曜日)

”鉄道の町”・・・・歴代の敦賀駅その4

こんにちは
院長の山口です。

さて・・・さらに続きです。

戦後バラックで出来た3代目敦賀駅ですが、昭和26年に4代目の敦賀駅が完成しました。
これが最近まで改装されながら使用された駅舎です。

IMG_2020_20180828121459ec6.jpg

当時、北陸で最初の鉄筋コンクリート造りの建物だったそうです。
でも、ほとんど平屋ですね。

この写真を見ると、すでに架線が張られているので、昭和32年以降でしょうか。
昭和32年に、木之本↔敦賀間に現在の近江塩津経由の新線が電化開業されましたから。

昭和37年に北陸トンネル経由の現在の新線が電化開業し、敦賀↔今庄間の旧線(杉津経由)が廃止となり、敦賀機関区(第一)からたくさんの蒸気機関車がリストラされて、金沢、富山方面に移っていきました。

IMG_2023_20180828121503da8.jpg

この航空写真より、貨物列車の先頭には電気機関車がみえますし、第一機関区辺りにもほとんど蒸気機関車が見られないので、昭和37年以降のものかもしれません。

ちなみにこの頃はまだまだ小浜線は蒸気機関車が使用されています。

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この写真は、おそらく昭和50年前後の敦賀駅です。

左から2番目のクルマは、昭和47年にRX系にモデルチェンジされた「マークⅡ」ですね(・Д・)ノ
懐かしいです。

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これは4代目駅舎が壊される前の駅舎です。
ほんの少し前まで使用されていました。

さて、北陸新幹線開通に向けて数年前から駅舎を含め大幅にリニューアルされます。
まずは、旧駅(街側)および駅前の整備から始まりました。

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5代目敦賀駅の誕生です。

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駅前のロータリー辺りも含めて綺麗に整備されました。

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とても立派な駅舎!と思うのですが、実は向かって右手の隣接している建物は市が管理する「オルパール」なる交流施設です。

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昔から駅前に展示というか、置いてあった蒸気機関車の動輪(9600型?)も残されてます。
新幹線の駅は、昔の第一機関区あたりと現在より離れた場所に出来ます。
たぶん新幹線のホーム兼駅が現在の場所の反対側(東側)になるので、そちらの駅前の整備とかに力を入れるのではないかと思います。

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しばらくは北陸新幹線の終点として、在来線の乗り換え駅として、しばらくは”鉄道の町”として続きそうです。

2018年

12月06日

(木曜日)

”鉄道の町”・・・・歴代の敦賀駅その3

こんにちは
院長の山口です。

またまた前回の続きです。

明治43年に2代目駅舎が完成しましたが、その数年後に北陸本線として米原↔直江津間が全通。
”本線”とは名ばかりで、ほぼ全区間で単線非電化の細い動脈でしたが、物流や人の流れは大きく変わることになったようです。

この頃使用されていた機関車は、あまり資料がないが、2120型とかも使用されていたらしいがなんせ急勾配連続な路線。
たぶんかなり輸送量を制限しながら運んでいたのではないだろうか(あくまで推測です・・)

北陸本線が全通したころに、「9600型」機関車(通称キューロク)が生産され全国で活躍します。
大正2年頃から、さらに力持ちになった「9900型」機関車が生産されます。
「9900型」機関車は昭和の初めに形式変更により、「D50型」(通称デゴマル)機関車と名前を変えます。

「D50型」は力持ちで、すぐに北陸線にも配置されたようです。

昭和11年には、のちに”1000t貨物”の主役であった「D51型」機関車が生産を開始。
当然 1号機は敦賀機関区に配置されたとのこと。

この有名な力持ちの機関車「D51型」は、明治初期に掘られた断面積の小さな北陸線のトンネルが通過出来るように設計されたとか・・・・・知らんけど(*ノェノ)

話はずれまくりましたが、この頃の敦賀の様子です。

CIMG2774.jpg
(昭和12年頃)

右手下のほうにカーブを描いた敦賀駅が見えます。
端っこには”ラウンドハウス”が・・・\(^o^)/
上方は敦賀湾と敦賀港。
中央やや上側に見える黒い繁みが気比神宮”です。
初代敦賀駅は、この神社の南西辺りにあったとの事。

またこの年に敦賀町と松原村が合併して「敦賀市」となったのでありました。


・・・そして日本は戦争に向かって進んでいきました。

昭和20年、敦賀空襲により一面は焼け野原になったそう・・・(つω-`。)

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(”ふるさと敦賀の回想”より)

一面廃墟と化した街並みです・・・
この時に、敦賀駅駅舎も焼失してしましました。

日本中焼け野原になった街は数限りなくありますが・・・それでも鉄道は走っていました。

とりあえず、駅はすべての復興への先駆けです。

そしてとりあえず駅舎を建てました。

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バラック造りの駅本屋です。

一応これが3代目敦賀駅・・・となるのでしょうか・・・・・?
しつこく続く・・

2018年

12月05日

(水曜日)

”鉄道の町”・・・・歴代の敦賀駅その2

こんにちは
院長の山口です。

前回のつづきです。

初代敦賀駅は気比神社の前あたりにあり、さらにそこから北上して敦賀港まで開通しました(駅名は当時は金ケ崎)。

明治17年には滋賀県の長浜駅まで開通し、琵琶湖水運を通して京都・大阪へ行けるようになりました。
また、敦賀港は、国際港として開港すると、ロシアや大陸との定期航路に連絡する東京からの直通列車が運行されるようになります。

明治25年に「鉄道敷設法」が公布されると、敦賀から福井、金沢、富山へのルートが調査され始めました。
敦賀から今庄までは、海側の山の斜面を登り、山中越えを経て今庄に達する厳しいルートとなり、明治29年7月に敦賀↔福井間が開通しました。

しかしまだこの時は、敦賀駅の位置は変わらず、スイッチバックして福井に向かっていたようです。

CIMG2794.jpg

福井方面に向かう列車は、進行方向が逆向きになるわけですね。


この頃の敦賀港の様子です。

CIMG2775.jpg
(明治30年頃 ”ふるさと敦賀の回想”より)

港はたくさんの船で溢れており活気がありそうです。
また手前には貨物車が見えます。



この駅配置は不便だったのと、駅が手狭になったんでしょう。
明治42年に現在の位置に移転となりました。
そのちょっと前の明治35年に初めて、米原↔敦賀↔金ケ崎 を「北陸線」と言うようになったそうです。

CIMG2795.jpg
(明治42年測量)

駅の手前から右カーブしている現在の駅の位置となりましたが、敦賀港へ向かいう線路はそのままなので、やはりスイッチバック式に進まなくてはなりませんね。

駅移転の1年後、明治43年に2代目の敦賀駅舎が誕生します。
この時にほぼ北陸線(米原↔直江津間)が全通していましたが(正確には大正2年全通)、戦争で被災するまでは、「北陸一の大駅舎」と言われていたそうです。

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(明治43年6月 ”ふるさと敦賀の回想”より)

とても立派な駅舎ですね。和洋折衷な感じがします。

記録がないのでわかりませんが、ひょっとしたらこの頃に敦賀港線が現在のように分岐するようになったのでしょうか・・・?

100616_1355~0001
(昭和9年測量)

ほぼ今のルートになりました(まだ北陸トンネルはありませんが。。)

 
こうして2代目駅舎は戦争で焼かれてしまうまで、敦賀町(のちに市)の顔として使用されました・・・・・続く

2018年

12月04日

(火曜日)

”鉄道の町”・・・・歴代の敦賀駅その1

こんにちは
院長の山口です。

前回は「鉄道の町」敦賀に新幹線が来るというお話でした。

そこで今回は、前後に峠越えが待ち受けた鉄道の町敦賀駅の歴史のお話です・

簡単に敦賀駅の歴史を書くと・・

明治3年、「東京ー神戸」と「琵琶湖ー敦賀」の測量を開始しました。。
琵琶湖と敦賀の物流は重要であったため、国としても重要案件だったのだろう。

当初は日本海と琵琶湖との間に運河を作る計画があったらしいが、さすがに大変とのことで鉄道敷設が選ばれたようです。

以前のブログに、敦賀駅は明治17年開業と書きましたが、実際は、敦賀港(金ケ崎)↔敦賀↔洞道口(柳ケ瀬隧道西口あたり)
の区間および柳ケ瀬↔長浜の区間の開業は、明治15年3月ですね。

そして2年後の明治17年に「柳ケ瀬隧道」が完成して、敦賀↔長浜間が全通となったのでありました。

ちなみにこの時の東海道本線は米原経由ではなく関ヶ原から北西方向に進み長浜駅に達していました。
これは長浜からの輸送を琵琶湖の海運に任せていたからですね。

長浜↔大津は船で結び、大津(当時は馬場)からは京都から伸びてきた鉄道(今の東海道本線)にバトンタッチして、京や大阪に運んでいたのであります。
明治13年、鉄道は神戸↔大津が全通しましたが、そこから東は琵琶湖の海運に頼っていたため、大津↔米原間の鉄道敷設はしばらくストップしていた様です。

明治22年。東海道本線が今のルート(大津↔米原開通)になると同時に、長浜↔米原も開通し、敦賀港で荷揚げされた米や魚などの物資が直接鉄道で京都・大阪方面に、そして名古屋方面にも運ばれることになったのでありました。

これが、ざっとした北陸本線と敦賀駅の歴史であります。


さて、明治15年開業当時にあった敦賀駅の場所は今とは大きく違っていました。

100616_1356~0001
場所的には、現在の気比神宮の前辺りだったそうですw(゚o゚)w
現在の敦賀駅のある辺りは・・原野ですね。

つまり、敦賀港からの荷物を運ぶのが目的でしたから、福井方面には向いてなかったのですね。

初代敦賀駅駅舎はこんな感じだったそうです。

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(~市制施行50周年記念写真集 ふるさと敦賀の回想~より)

駅前ですね。ずいぶんにぎやかです。


しかし、明治29年難工事を経て敦賀↔福井間が開業します。
この区間のうちの敦賀↔今庄間が後に”1000t輸送”の戦場となった杉津経由の路線であります。


この時、敦賀駅は大きく場所を移動することになりました。

それが2代目の敦賀駅となるわけです・・・・・ つづく


2018年

12月03日

(月曜日)

近づいてきた・・・北陸新幹線敦賀延長!

こんにちは
院長の山口です。

鉄道の町として発展してきた駅というところが全国にあります。

私の独断と偏見で言わせてもらえば、例えば・・・
岩見沢駅とか・・・追分駅とか・・・米沢駅とか・・・坂町駅とか・・・黒磯駅とか・・・・・大宮駅とか・・・・横川駅とか・・・

関西で言えば、米原駅とか・・・福知山駅とか・・・和田山駅とか・・

発展したと言っても、必ずしも町の規模は大きいとは限らない。
その駅からの分岐線があったり、前後に峠が控えてたり・・・して鉄道施設が増え、職員が増え、「鉄道の町」と言われるようになったのだろうと思われます。

町に占める鉄道の敷地面積が広いというか・・車庫や機関区があるとか・・・そういう駅というのが見ていて楽しいですね。

そんな町のひとつ、北陸本線の敦賀駅まで新幹線が開通することが決まりました(・・前振りが長い(^_^;))

CIMG2783.jpg

北陸新幹線ですね。
敦賀までは開業は決まっていますが、その先大阪までどういうルートで行くかと言うこともほぼ決定しているようです。

前倒しもあり、あと3~4年少々で敦賀まで開業するのならば、なんとか見ることは出来るかもしれません(笑)

CIMG2784.jpg

用地買収はほぼ95%以上終了。
「新北陸トンネル」も掘削中です。

CIMG2785.jpg

そして敦賀駅ホーム場所も決定しており工事は進んでおります。


私はまだ北陸新幹線に乗車したことがありません。
乗ってみたいのは確かです・・・・が、


北陸本線と名乗る区間が・・・米原↔敦賀 だけになってしまう(T_T)
特急「サンダーバード」は、大阪↔敦賀間?
特急「しらさぎ」は、名古屋↔敦賀間?

になるの??

いや、それなら今だって大阪方面から「新快速」が乗り入れてるのだから、特急は廃止になるのか??
あれだけいろんな列車でにぎやかだった北陸本線の時刻表が寂しくなる(´д⊂)

いずれにしても、新幹線と在来線の乗換駅、小浜線への分岐駅・・・ということでまだしばらくは敦賀駅は”鉄道の町”であろう。


2018年

11月27日

(火曜日)

Journey of a Songwriter以後の浜省の話   ”君が人生の時~Time of Your Life”

こんにちは
院長の山口です。

今年の浜省コンサートに見事抽選で当たりました!
3年ぶりです。

でも、今回はファンクラブ会員限定コンサート。題して

”Journey of a Songwriter ” since1975
Welcome back to The 70‘s
”君が人生の時~Time of Your Life”

つまり、浜省の70年代の曲をメインとしたツアーである。
IMG_2406.jpg


ファンクラブだけしか参加できなくても、それでも全員が行けないくらい人気があるのである。
関西では、大阪と神戸。
それぞれ2日開催されます。

大阪と神戸。第一志望、第二志望・・と書いて申し込みました。

今回見事大阪で見ることが出来ました(」*´∇`)」

6IMG_2404.jpg

場所は、前回とおなじ「フェスティバルホール」
音が良いんですよねーこのホール

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でも・・・・・
今回は3階なんですよね。゚(゚´Д`゚)゚。

前回は、1階の前から10番目だったのに・・・・

しぶしぶ3階に向かうのでありました。

IMG_2408.jpg

おおー!この距離!この高さ!・・w( ̄o ̄)w

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始まる前に軽く麦酒を!(=∀=)

70年代の曲、つまりデビューから1979年までだから、アルバムで言うと・・・

「生まれたところを遠く離れて」
「LOVE TRAIN」
「illumination」
「MIND SCREEN」
「君が人生の時」

の頃、つまり私はまさに小学6年~高校入るまでに当たります。
この頃は超有名なスタジオミュージシャンが多くレコーディングに参加してました。

水谷公生、林立夫、岡沢茂、佐藤準、石井宏太郎などなど・・・(°_°)

前にも書きましたが、浜省はタイムリーで聴いていた訳ではなく、レコードも買ったりとかはしてませんでした。
1979年に発表された”風を感じて”というCMソングで知ったのが最初でした。

この曲は、アルバムで行くと「君が人生の時」に収録されています。

いよいよ開宴!
生ギター1本スタイルで登場!!\(^o^)/\(^o^)/

オープニングは、”生まれたところを遠く離れて”ヽ(≧∀≦)ノ
・・・
全部はかけませんが、
”いつかもうすぐ” ”遠くへ”

このあたりは浜省自身の経験、大学をドロップアウト・・赤いヘルメットの学生運動・・・のことなんか語ります。

途中から、町支寛二さんも登場!
2台のギターの弾き語り!

そして1部ラストは・・・”路地裏の少年”\(^o^)/

ここでしばし休憩です。

2部スタート。
ここからはフルバンドで始まります!

アルバム「MIND SCREEN」は、じつは多くの曲の詩を浜省が書いてないんですね。
ご本人が書いた少ない歌のひとつ、”いつわりの日々”。
この曲がなぜか一番心に沁みましたね~ 
やっぱりフェスティバルホールは音響もサイコーです。

そして”風を感じて”はみんなで大合唱\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

ラストは当然、”君が人生の時”キャ(/ω\*))((*/ωヽ)ァァ

その後のアンコールもあり大変感動したコンサート。

最後に浜省が言ってました!

「もし80年代の曲をやるツアーがあれば来てくれるかい?」

絶対にやってください!!キャ━(´ェ`)━!!!
IMG_2407.jpg




2018年

11月21日

(水曜日)

杉津駅跡にて

こんにちは
院長の山口です。

以前、”こんな見比べも・・”と称して、
「大桐駅跡」
「葉原隧道」
「葉原の大カーブ」
について書きましたが、最近「新保駅跡にて」を書きましたので、今度は杉津駅について書いてみます。

”1000t輸送”の戦地であった北陸本線の敦賀↔今庄間。

位置的には、
敦賀駅→新保駅→葉原の大カーブ→葉原隧道→杉津駅→山中信号所→大桐駅→今庄駅
となります。

この”1000t輸送”の戦いの中で途中ホッと息をつける駅。
それが「杉津駅」でした。

敦賀駅を出発すると、葉原隧道途中まではほとんど登り25‰の急勾配で、そこから少し下って「杉津駅」に到着しました。

海抜179m。はるか眼下に敦賀湾を望むそれは絶景の場所であった。
これは、当時の時代背景もあり、敦賀湾を一望。監視するためもありこのようなルートをとったとのことだそう。

いずれにしても、乗客は煙モクモクでトンネル内はとても窓なんかあけられず、また機関士達も窒息上等!で乗務していた過酷な区間(知らんけど・・・・)
ようやくトンネルを抜けるとそこに見える景色はホッとしたにちがいない。




・・・隧道を出ると突然に海岸の山のうえなり。見おろす限り渚の村まで、遥かに数百段の棚田あり、更級や田毎の月は物の数ならず。水皆白く光り海うつくし。
やがて杉津の停車場。風流を解する人この季節はここを過ぐれば、一列車くらいは遊ぶべき処なり。
ただし下まで降りては見どころかえって少なく、かつ登って来るのが用意でないよし。・・・

柳田國男の「北国紀行ー明治四二年ー」の中にも書かれている。



また、明治42年には、のちの大正天皇(当時は殿下)の乗られたいわゆる「お召列車」がこの駅を通過する際、この絶景に見とれて列車の発車を遅らせたという逸話があるそう。




「♪汽笛一声新橋を・・・」で知られた鉄道唱歌。
この第4集北陸編のなかでも、

「♪海のながめのたぐいなき  杉津をいでてトンネルに  入ればあやしやいつのまに  日はくれはててやみなるぞ」
と歌われている。

CIMG2706.jpg

これは、杉津駅を今庄側から撮影されたものですね。
待避線をはさんで相対式ホームと駅舎。そして、待避線には、「DD50」一次型の”1000t貨物”が見えます(゚∀゚)

向かって右手が海岸側になります。
昔はここから棚田が広がっていたとのこと。


CIMG2716.jpg

昔のダイヤをみると、この駅はつねに列車がいたそうな。
それだけ、輸送量も多くキャパオーバーしてたのだろう。


CIMG1080.jpg

これは、右側が山側だから上り列車、しかも「DD50」二次型がならんで停車してますね。
待避線(写真の左側)の列車は”1000t貨物”でしょう!
ホーム側は旅客列車だろうか?
いずれにしても、機関士がホッとしているようですね(〃▽〃)


CIMG2702.jpg

この写真は右手に駅舎があるので、向こうから下り旅客列車が到着するところですね。
左手のホームには、敦賀方面に向かう旅客列車が停車してます。

この列車はわかりませんが、短い編成の旅客列車は、補機も付くことなく「D51」単機でこなしてたようです。


CIMG2715.jpg

杉津駅を発車したあたり、この辺りは撮影地点として有名だったのでしょうか。

CIMG2714.jpg

敦賀湾がとてもきれいです。



さて、ここは今はどうなっているかというと・・・・・

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北陸自動車道上り「杉津PA」になってます。

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PAには、地元の小中学校の生徒さんが描いた杉津付近の蒸気機関車の画が飾られています。

ここからの景色はほんと綺麗です。

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葉原隧道を抜けたあとに広がる景色!
この後、鮒ヶ谷トンネルをぬけると杉津駅でした。

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向こうにみえるのは敦賀半島です。

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湾に突き出たポコポコとした小山は、今も変わりません。


敦賀側から来た列車は、ここで一息ついて、山中超えの急勾配に、そして今庄側から来た列車は、葉原隧道までの急勾配に挑んでいきます・・・・

2018年

10月19日

(金曜日)

今はもう昔の良きクルマ・・・石原裕次郎記念館にて

こんにちは
院長の山口です。

私が小学生4年生頃に始まったテレビドラマ「太陽にほえろ!」は男の子は特に必ず観ていたと思います。
石原裕次郎さん扮する”藤堂係長”通称”ボス”は当時まだ30代であったが、なんかもっと年上に感じた記憶があります。

「太陽にほえろ!」がテレビで大当たりして、その後「大都会」と続き、かの有名な「西武警察」が始まるのである。

西武警察の撮影中に石原裕次郎さんは倒れられ、その後ご存知のように闘病生活ののち、昭和62年7月に亡くなられました。


私が大学を卒業した年に、裕次郎とゆかりの深い小樽市に「石原裕次郎記念館」がオープンしたのでありました。
石原裕次郎さんは好きでしたので、何回か行きました。

最後に見に行ったのは、2年前。

もう昔のように混雑はしてなかったけど、まあまあ来館者はおられました。

館内は撮影禁止でしたが、エントランスに並べられた撮影(西武警察)に使用された車は撮影OKでした。

IMG_1215.jpg

右側のクルマは「日産 ガゼール」
石原裕次郎扮する小暮課長専用車である。

「ガゼール」は当時の「シルビア」の姉妹車で、結構短命な車であった。
やや「シルビア」より高級感を打ち出していたような記憶があります。

三菱で言うと、「ギャラン」と「エテルナ」?
トヨタの「マークⅡ」「クレスタ」「チェイサー」? カローラの「レビン」「トレノ」?

当時はこんな姉妹車が沢山ありました・・・

IMG_1207.jpg

オープンカーで、裕次郎さんがドアを開けずに飛び乗っていた記憶がありますね。

左側のクルマは、「日産 フェアレディーZ 280Tバールーフ」 S130型ですね。
大門団長がショットガンを撃ちながら乗ってた車ですね・・・知らんけど・・・

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特徴は、ガルウィングのドア!

なんでもこの車は、MTしかない車だそうだが、大門団長はMTの運転が苦手なためATになっているとの事w(゚o゚)w
当時の日産の名機「L28」エンジンという、”L”型エンジンである、

そして、今でも乗ってみたい車であるこの車!

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「スカイライン RSターボ R30型」ですね。
いわゆる、6代目スカイライン。
昭和56年10月に追加された、”FJ20E”型エンジンは、今までの名機”L20”型エンジンの直6からの変更で、直4になったがために「GT」いわゆる「スカG」が名乗れなかった世代のエンジンになりますね。

しかし、昭和58年2月、マイナーチェンジ直前にターボを追加した”FJ20ET”型エンジンを追加して「2000ターボRS」を発売。

これが、この大門軍団の「RS-1」であろう。

この後のマイナーチェンジで、”鉄仮面”の誕生を見ます。


三菱のこの時代は、対抗として2ドア、4ドアのあった「ギャラン」ですね。
昭和56年に”2000GSRターボ”を追加し、競合。
昭和57年くらいから、「スタリオン」を投入!

・・・・でもスカイラインには・・・・販売実績では・・・゚・(つД`)・゚・


石原裕次郎と・・・古き良きドラマの車でした。

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大阪市北区の歯医者さん
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