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山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん

山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG

2010年

06月17日

(木曜日)

院長の妄想!2

こんにちは
院長の山口です。

では、前回の続き・・・

私の両親は福井県敦賀市で、私の田舎といえばここになるのでしょうか・・
田舎に限らす、人って自分の縁のあるところの歴史なんか少しくらいは気になると思うんです。

それは小学校の時に社会科の授業で必ず「自分の住む街」みたいな授業があり、好き嫌いはともかく勉強しますもんね。

自分の好きなアイドルやスターの方のいろいろな過去のことを知りたくなるのと同じことだと思います。


話がずれましたが、敦賀市を見ると、人口も5~6万人の小さな街なのに、駅構内はとても大きく、以前は全列車が停車する事実を考えると、この街はどうして今のようになったのだろうとか、この駅の構内の大きさの理由は何だろうとか・・・なぜ東京からの直通列車が敦賀まで走ってたんだろうとか・・・・妄想(?)するわけです。


いろんな文献からすると、この地に鉄路が引かれたのは明治17年だそうで、新橋・横浜間の鉄道開通が明治5年ですから、その後12年後にこの田舎町に鉄道が引かれたわけです。この時期に鉄道がひかれていたのは、東京~横浜、神戸~京都~大津、手宮~幌内くらいですから(間違ってたらすいません)いかに政府はここへの交通路を確保したかったかがわかります。

100616_1356~0001
これは明治中期くらいの敦賀市の地図ですが、これを見ると現在の敦賀駅とは位置が違います。

当時は北陸、北海道からの農作物や海産物の輸送は、敦賀港まで船で運んで、鉄道を使って、現在の滋賀県長浜市まで輸送していました。
ここからは琵琶湖を利用した海運を使用し、大津まで運び、そこから当時京都から伸びてきた東海道本線を利用して京都、大阪へ輸送していたとのことです。

また、ここからソ連のウラジオストックまで定期航路もあり、港町としてはかなり栄えていたのでしょう。
昔から、海外貿易港として、また北陸と関西との物流は盛んであったことから、政府としては早く鉄道を引きたかったということでしょう。


つまり地図から、最初は鉄道は敦賀港を目指していたことがわかります。

100616_1355~0001

この地図は明治終わり頃の敦賀市ですが、これをみると駅の位置が大きく南に移転し現在の位置に変わるとともに、右上のほうに鉄道が伸びています。

現在の北陸線としてさらに福井、金沢方面へ開通しているわけです。


こんなふううにして、地図や時刻表やいろんな文献を見ながら「鉄道」を見るのが好きなのです。

まだもうちょっと続かせてください・・・・




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