山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん
山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG
2017年
09月26日
(火曜日)
診療時間変更のお知らせ(休診)
診療時間変更のお知らせです。
10月4日(水)の午後は都合により休診とさせていただきます。
午前中(9:30~12:30)は通常通り診療致します。
患者様にはご迷惑をおかけ致しますが宜しくお願い致します。
10月4日(水)の午後は都合により休診とさせていただきます。
午前中(9:30~12:30)は通常通り診療致します。
患者様にはご迷惑をおかけ致しますが宜しくお願い致します。
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Title: 診療時間変更のお知らせ(休診) >>
2017年
09月20日
(水曜日)
国鉄新田駅の頃
こんにちは
最近少し鉄分が多い院長の山口です。
最近はいつミサイルが飛んでくるかと思うととても怖いです
いくらなんでも日本領土内に撃ち込んでくるような馬鹿なことはしないと思うのですが・・・・
ただ、日本はじっと見てるだけというのもなんか・・・って気がします。
私が小さい頃というのは、鉄道の駅というところは、子供の遊び場というか、よく友達とチャリに乗って遊びに行きました。
私の子供の頃に住んでいた最寄りの駅は2つあり、ひとつは近鉄大久保駅、そしてもうひとつは国鉄新田駅でした。
幼稚園だったか小学校だったかで、新田駅の貨物が留まっているヤードに写生しに行った記憶があり、当時は駅構内に入ることはなんとも問題にならなかったようでした。
近鉄京都線は、京都市内に行くときに乗るもの、電車本数が多い、速いなど実用的によく使いました。
でも国鉄奈良線は、当時単線非電化、列車本数は平均1時間に1本、京都に出るのに時間がかかる、など普段は乗りませんでした。
でも、駅に遊びに行くといえば、新田駅でした(ちなみにしんでんと読みます)

最近のJR新田駅です。
明治28年開業時からあるこの駅は、当時はまさに国鉄のローカル駅でしたが、今は改装されたりしてどこにでもあるローカル線の駅って感じです。
小学校の頃友達と頻繁に駅に通ってました(笑)
その理由とは・・・・・・?
その当時国鉄では「DISCOVER JAPAN」なるキャンペーンをやっていまして、いろいろな街や列車のポスターが駅に張られていたのです。
なぜか当時そのポスターがほしくてほしくて、掲載期間の終わったポスターをもらいに行ってました
駅員さんに、「ポスターありますか?」って聞くと、「倉庫とかにおいてあるから持って行っていいよ」みたいな感じで、綺麗で景色のいいのをもらって帰ってましたね・・
ついでに・・「いらなくなった切符もあったら・・・」
といって、時には切符ももらったりしました。
その頃はもう蒸気機関車は走ってなかったですが、貨物列車は走ってましたし、旅客列車といえば、キハ17系、とかキハ35系とか、キハ45系とかで4両~6両くらいの編成が多かった記憶があります。
それを模型で再現するとこんなイメージです。

そしてその奈良線に当時1日1往復だけ急行列車が走ってました。
京都↔白浜 を奈良線、桜井線、和歌山線、気勢線経由で結んでいた「しらはま」でした。
奈良線内の停車駅は宇治駅のみ。当然新田駅は通過です。
一度、急行列車の通過を見てみたくなり、日曜日だったか、新田駅まで見に行ったことがあります。
通過といっても、単線行き違い駅ですから、時速は多分20~30㎞/hくらいでしょう、ノロノロと駅を通過しポイントで車体をくねらせながら走り去っていきました。
編成も4両だったと思います。でもその中に「グリーン車」の緑の帯が優等列車らしくカッコよかった!
模型で表すとこんな感じです。


でも自分では記憶がほとんどないが、なんどか父に連れられて新田駅に行ったのが最初だろう
もちろん父がみたかったのはこれでしょう!

昭和44頃の新田駅。後ろは蒸気機関車C58型。
まだ鉄分ゼロの院長でした。
最近少し鉄分が多い院長の山口です。
最近はいつミサイルが飛んでくるかと思うととても怖いです
いくらなんでも日本領土内に撃ち込んでくるような馬鹿なことはしないと思うのですが・・・・
ただ、日本はじっと見てるだけというのもなんか・・・って気がします。
私が小さい頃というのは、鉄道の駅というところは、子供の遊び場というか、よく友達とチャリに乗って遊びに行きました。
私の子供の頃に住んでいた最寄りの駅は2つあり、ひとつは近鉄大久保駅、そしてもうひとつは国鉄新田駅でした。
幼稚園だったか小学校だったかで、新田駅の貨物が留まっているヤードに写生しに行った記憶があり、当時は駅構内に入ることはなんとも問題にならなかったようでした。
近鉄京都線は、京都市内に行くときに乗るもの、電車本数が多い、速いなど実用的によく使いました。
でも国鉄奈良線は、当時単線非電化、列車本数は平均1時間に1本、京都に出るのに時間がかかる、など普段は乗りませんでした。
でも、駅に遊びに行くといえば、新田駅でした(ちなみにしんでんと読みます)

最近のJR新田駅です。
明治28年開業時からあるこの駅は、当時はまさに国鉄のローカル駅でしたが、今は改装されたりしてどこにでもあるローカル線の駅って感じです。
小学校の頃友達と頻繁に駅に通ってました(笑)
その理由とは・・・・・・?
その当時国鉄では「DISCOVER JAPAN」なるキャンペーンをやっていまして、いろいろな街や列車のポスターが駅に張られていたのです。
なぜか当時そのポスターがほしくてほしくて、掲載期間の終わったポスターをもらいに行ってました
駅員さんに、「ポスターありますか?」って聞くと、「倉庫とかにおいてあるから持って行っていいよ」みたいな感じで、綺麗で景色のいいのをもらって帰ってましたね・・
ついでに・・「いらなくなった切符もあったら・・・」
といって、時には切符ももらったりしました。
その頃はもう蒸気機関車は走ってなかったですが、貨物列車は走ってましたし、旅客列車といえば、キハ17系、とかキハ35系とか、キハ45系とかで4両~6両くらいの編成が多かった記憶があります。
それを模型で再現するとこんなイメージです。

そしてその奈良線に当時1日1往復だけ急行列車が走ってました。
京都↔白浜 を奈良線、桜井線、和歌山線、気勢線経由で結んでいた「しらはま」でした。
奈良線内の停車駅は宇治駅のみ。当然新田駅は通過です。
一度、急行列車の通過を見てみたくなり、日曜日だったか、新田駅まで見に行ったことがあります。
通過といっても、単線行き違い駅ですから、時速は多分20~30㎞/hくらいでしょう、ノロノロと駅を通過しポイントで車体をくねらせながら走り去っていきました。
編成も4両だったと思います。でもその中に「グリーン車」の緑の帯が優等列車らしくカッコよかった!
模型で表すとこんな感じです。


でも自分では記憶がほとんどないが、なんどか父に連れられて新田駅に行ったのが最初だろう
もちろん父がみたかったのはこれでしょう!

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