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山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん

山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG

2017年

12月28日

(木曜日)

”にゃー” 愛用してます(~_~;)

こんにちは
院長の山口です。


残すところ今年もあと少しになりました。
診療も明日の午前中までです。
午後は大掃除になりますので、宜しくお願い致します。

数年前から「ICCOCA」を入れるためのパスケースに”にゃー”のパスケースを使っていました。

最初に買ったのはたまたまどこかのイオンモールに入っていた専門店で見つけて買ったのですが、なんか可愛くてずっと使用してました。
でもそろそろほころびかけてきたので、新しいのがほしいなと探してました。

でも”にゃー”という名前も知らなかったしどこに売ってるかもわからなかったのですが・・・

ある日、グランフロントの中を歩いていたら、
ありました!
しかも”にゃー”ばっかり売ってるお店が!

しかも見つけました!パスケース!

思わす、店員さんに「やっと見つけましたよーここにあったんですねー」と言ってしまいました。
変な中年おっさんがニコニコしながら喋りかけてきたので、びっくりした感じでした。

なんでも関西はショップはここだけと言ってました。

IMG_1894.jpg

どうですか?
可愛いでしょう?(笑)

裏はどうなってるかというと、

IMG_1895.jpg

ここに「ICCOCA」を入れて、改札口で”バン”と読み取りセンサーの所に押し当てます!

ゴムがついたフックがあるので、鞄の金具とかに掛けといて頭を引っ張るとビューンと伸びるのです。
頭の裏にはファスナーもあって小銭なんかも入れられるみたいです(私は入れてませんが)


鞄の外にぶら下げるのはさすがに出来ないです(^_^;)
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2017年

12月27日

(水曜日)

Show me your way! I'm a J.boy! までの浜省の話

こんにちは
院長の山口です。


私は唯一1人だけファンクラブに入っているミュージシャンがいます。

その方は、浜田省吾 さん!
いわゆる”ハマショー”
である。
IMG_1891.jpg
・・ファンクラブで入手出来るカレンダーです・・・(ちなみに今年のではありませんが・・)


私が初めて浜省を聞いたのは、日清カップヌードルのCMソングである「風を感じて」でした。
吉田拓郎のバックバンドをしていた彼が後に名曲になる「路地裏の少年」でソロデビューしたのが昭和51年頃。

その頃はほとんど知らなかったが、「風を感じて」を聞いたのは高校のときだったか?

キャッチコピーは、”POPS界の貴公子!”・・・だったと思う。
当時私は正直そんなに興味を持たなかった(スイマセン)


晴れて大学に入った4月。札幌のレンタルレコード屋(当時はレコードレンタルが主流でした)から借りてきてカセットに落として
聞いた初めての”ハマショー”アルバムは、 「Sand Castle」でした。

今までのバラードをセルフカバーしたものだったが、結構ぐっときた。
それは何故かはすぐ理解できた。

このアルバムの編曲が私の大好きなスタジオミュージシャンである佐藤準だったからだ。

佐藤準さんがアレンジしたアルバムは大概お気に入りである。というかアルバム(シングルとか単発の曲ではない)を聞いて、いいね!となって誰が編曲しているかを見ると・・・おおっ!やっぱ佐藤準かーという感じである。

話がずれていきそうなので戻しますが、この「Sand Castle」を聞いて、とりあえず今までのアルバムを聞いてみようとなり、順番に借りてきてテープに落として聞いていきました。


アルバムとして、「愛の世代の前に」くらいから”イイねー!”になっていきました。
そしてそれまでのライブ盤みたいな感じの「ON THE ROAD」を聴いて、さらに”イイねー!”

浜省はホントは「POPS界の貴公子」ではなく、こういうのがやりたかったんだーと思いましたね。
んで、この頃からよく聞いていました。

その後のアルバム「PROMISED LAND~約束の地」!
うーん!これもいい!
・・・・週末に僕は彼女とドライブに出かけた・・・  がイイ!

ンで、その次のアルバム、「DOWN BY THE MAINSTREET」!
これも最高!
有名どころの「MONEY」 とか「DANCE]とか!
まさに時はバブル時代直前期!

ここで一応ハマショーのアルバムに追いつくのでありました
そして大学1年の冬。
「CLUB SNOWBOUND]!

この頃からは一般にCDも出てきて、貸レコードと貸CD(レンタルショップ)がありましたが、車で聴くにはまだカセットテープが当たり前でしたので、CDを借りてカセットに落としていました。

そして・・・

Show me your way!   I'm a J.boy!

が発表されるのです(笑)

続く・・・かも
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2017年

12月25日

(月曜日)

蝦夷富士と日本一の美味しい水のある駅~東京から4時間36分

こんにちは
院長の山口です。

またまた続きですが、
何故倶知安町が人がふえるのか・・・

それはこれが理由である。
IMG_1824.jpg

倶知安といえばピンとこないかもですが、ニセコといえばスキーをはじめとした有名な場所。
ニセコ町と倶知安町は隣どうしだから倶知安駅から近いし。

東京駅から乗り換えなしで4時間半くらいでニセコまで行けるとしたら・・・・・
この需要はまあまああるかもという気がする。

そうすれば住む人も訪問する人も間違いなく増える気がする。

今から10数年前だろうか・・・
新幹線が倶知安を通るということがまだ未発表の頃である。
そのルートとなりそうな場所や駅近辺の土地を東京方面の企業が買いあさっているという噂をすでに聞いていました(あくまで噂!)
北海道の地方だと坪5000円とかあればいいくらい。

昔、十勝地方の田舎で廃校になった学校(土地含む)を3000円で売りますとかあったらしいと本で読んだことがあります。

その時から比べて現在倶知安町の土地は高騰しているらしい。(少なくとも倍にはなってるとか聞きました)

しかも、札幌開業までに段階的に倶知安まで先行開業するという話も出ているとの事。
これだと、2025年目標との事。
これなら待てるかも(笑)

しかし札幌まで開業となると・・・2030年・・・
生きてるか・・生きてるとしても新幹線に長時間乗れる体力があるかどうか・・・

そこが微妙である。



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2017年

12月22日

(金曜日)

蝦夷富士と日本一の美味しい水のある駅~続き~

こんにちは
院長の山口です。

さて、前回のつづきですが、昔から駅前に「日本一おいしい水」と書かれた水飲み場がありました(今もあると思いますが)

この水は少し離れた羊蹄山という山の山麓から湧いた水らしい。

倶知安駅は峠越えをしてきた蒸気機関車が給水する駅でもあり、機関車の給水中に機関士や機関助士も水分を補給していたところだ。
「日本一おいしい水」を給水してもらって、さぞ機関車も乗務員も元気を取り戻したことだろう。


この羊蹄山。富士山に似ていることから「蝦夷富士」と呼ばれ、登るもよし!見てよし!の美しい山である。
かつて「急行ニセコ」に乗った時も、

「皆様、左側の窓をご覧ください・・・・」

と車内放送で観光案内をしていた記憶があります。

youtei.jpg

これは夏の羊蹄山。
倶知安から京極方面(ルスツ方面)に向かう国道276号線から撮影したものです。
とてもきれいだったので車を停めて撮りました。

ちょうどこの山の向こう側に、「真狩村」という村があります。
そう、歌手の細川たかしの出身地です。

ちなみに「まっかりむら」と読みます。

PICT0059.jpg

この写真は、先ほど出てきた京極町から札幌に向かう国道230号線の中山峠から撮影したものです。
R230は交通量も多く、超幹線国道で夏は穏やかですが、冬の中山峠越えは、それはそれは怖いですよ・・特に夜吹雪くと・・・

PICT0052.jpg

これは、倶知安町とニセコ町の境目位にある当時「ニセコ東山プリンスホテル」と呼んでいたホテルからの撮影である。

ほんと、羊蹄山は綺麗な山である。

このホテルの前にはゴルフコースはあるわ、すぐ横からゴンドラがあってスキーは出来るわ、温泉は入れるわ、とてもいいホテルだったけど、いつの間にか「ヒルトン系列」になり、どうも今は違う別の外資系企業がやってるらしい。

このニセコあたりの雪質は言わずと知れたパウダースノーってやつで、少し前から、オーストラリアの方々が多く移住してきており、ニセコのあたりは結構活気があったりしている。

だから、倶知安町やニセコ町はある意味人気の場所なのである。

それだけでない。
なぜこれからもっと人が増えるかもしれないのか!?

さらに次回に引っ張ります!(笑)
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2017年

12月21日

(木曜日)

蝦夷富士と日本一の美味しい水のある駅

こんにちは
院長の山口です。

JR函館本線倶知安駅

しらないと読めないこの駅は、北海道虻田郡倶知安町にある駅である。
明治37年、北海道鉄道の駅として開業。
その後すぐに北海道鉄道の国有化により函館本線倶知安駅となる。
「倶知安」という名前の由来ははアイヌ語からであり、
「猟人のいる小屋のある沢」
と私は記憶している(これは諸説あるようです)

私はある縁にてこの倶知安町には何度も訪問している。
ここは昔で言うところの「後志支庁所在地」であった。最近は「後志総合振興局」と言うそうな。
後志支庁自治体とは、有名な小樽市も含んでいたのだが、なぜか倶知安町が支庁所在地だったのである(今もそうである)

人口は現在約15000人ほど。最盛期は約20000人くらいだったそう。
同じ北海道でも、最盛期人口が100000人以上いた夕張市は今では10000人を割ってしまっている。


倶知安駅。
じつにいい感じの駅である。
前に書いた関西本線(加茂~亀山あたり)の雰囲気に似ている。

昔は、本州から函館に着いた人たちは、小樽、札幌に通じるこの函館本線を利用するのがメインルートだったからである。

私が初めてこの線(札幌ー小樽ー長万部の区間)に乗ったのは、昭和60年3月5日だったと思う。
北大受験が終わり、その日は札幌で宿泊。
翌日8時30分頃に札幌発車する急行「ニセコ」函館行に乗ったときでした。

・・・たぶん「急行ニセコ」に乗りたかったのでしょう(笑)・・・

当時は、ED75かED76(札幌→小樽)DD51+DD51(小樽→長万部か函館)+荷物車+郵便車+14系客車(4~6両)
だったような・・
(すいません、うすぼんやりとした記憶で間違ってるかもです)
雪景色がスゴイ!という印象で、受験を終えたあとでしたから、北海道の車窓をいっぱい楽しみました。



また、この駅には昭和61年までは、ここから有珠山や昭和新山の麓を抜け太平洋側の伊達紋別まで胆振線という支線が分岐していた。

昭和61年の夏だったか秋だったか。私はその頃札幌に住んでいたので、もうすぐなくなる胆振線に乗りに行ったのだった(^_^;)
廃線近かったこともあり、カメラを持った人たちでいっぱいだった記憶があります(地元の方はほとんどいなかったような・・・)

胆振線が廃止されるときにたしかここを走る特急列車「北海」も廃止(あの「急行ニセコ」も廃止だったような・・)になり、その後どんどん列車も乗降客も減っていったのであろう。

IMG_1814.jpg

これは最近の倶知安駅である。
今使用されてる列車の形式とかは全くわからないが、こんなのが1~2両程度で走っているみたいである。

駅舎側のホームから函館方面に向けて撮っているが、この手前のホームには線路がありません。
ここが、かつての胆振線のホームでした。

IMG_1815.jpg

これは小樽方面に向けて撮ったものです。

胆振線跡には砂利が、そして跨線橋の奥には昔は「倶知安機関区」があったところでしょうか。
ホームが大変長く昔は長編成列車が行き来していたのでしょう。

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これは夜のホーム。
函館本線ホームから撮っています。

しかし・・・その数日後は・・・・
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しかし、この町は、ひょっとしたら人口が増えていくかも・・。なのです。

わかりますか??

あっ、ちなみに読み名は「くっちゃん」です。
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2017年

12月20日

(水曜日)

年末年始休診のお知らせ

年末年始の休診のお知らせです。

12月29日(金)午後~1月5日(金)  を休診とさせていただきます。

12月29日(金)午前および 1月6日(土)は診療をしております。(1月6日は午前のみの診療ですのでご留意ください

宜しくお願い致します。
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2017年

12月19日

(火曜日)

懐かしき”寝台電車”の想い出

こんにちは
院長の山口です。

実家から少しずつ持ち帰った”ブツ”を少しずつチェックがてら見ていきます。
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これは583系でTOMIX製13両フル編成(グリーン車、食堂車含む)そろってます。
フル編成繋げると、約3メートル!


レールに置いて通電してみます!
おおっ!
イイね!

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室内灯も点いてます!室内は寝台でなく座席仕様ですね。

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行先表示は「上野行 ゆうづる」としてます。

私としては、やはり「明星」「彗星」「なは」「きりしま」「月光」あたりに変更したいとこです。

当時夜行列車は客車列車が当たり前で、電車などモーターの音がうるさく寝台車に向かないということでしたが、
この581系、583系は、昼間は座席特急、夜は寝台特急として2倍働かされた電車でした。

当時の夜行列車は駅に並ばないと入手できないもので、いつも満席の状態でした。
それほど鉄道輸送が当たり前の時代でした。

私がこの581・583系に乗った記憶があるのは・・・

まずはこのオリジナル現役全盛の電車寝台特急「明星」に乗ったことがありました。(昭和52年前後だったか?)
581・583系「明星」は新大阪→熊本、熊本→京都と2回乗りました。


その次は北大に合格して札幌に部屋を探しに父と行くときに、盛岡→青森で走ってた特急「はつかり」(昭和60年)でした。
東海道新幹線→東北新幹線で盛岡まで行き、特急「はつかり」に乗り換え、青函連絡線の夜行便で早朝函館に着き、気動車特急「北斗」だかにのりかえて午前中に札幌着というコースでした(笑)
つまり、写真のような座席の状態で、結構ガラガラでしたので、勝手に座席を引っ張り出して寝台のようにして乗っていいたら、車掌から怒られた記憶があります。
でも他のお客さんもみんなやってました(笑)


その次は、たしか昭和の終わりころだかいつだかの冬に帰省して札幌に戻るときに、東京まで新幹線で行って、上野→青森の区間で寝台特急「ゆうづる」の下段寝台に乗った記憶があります。
下段寝台は寝台幅が広く(約1メートルちょっと)窓が独り占めできるのです!
でも料金は上段、中段より高かったのですが、中段、上段は乗れたものではなく、横になってるしかないような寝台でしたから、下段を奮発しました。
ちなみに中段、上段の寝台幅は70センチ、高さなんて70センチもありません!着替えも一苦労です。
特に上段なんかは屋根にへばりつくような感じでした。
この車路は京都鉄道博物館に座席と寝台と両方見られる状態で展示されていますので、一度見てみてください。


あとは、90年代、阪大に居た頃から新潟に居る先生の所によくお勉強(?)しに行っていたので、夜行急行「きたぐに」にも何度か乗りました。
「きたぐに」は、大阪~新潟を結んでました。
「きたぐに」に乗ったのはJRになってからで、もちろん3段式寝台と普通座席車とグリーン車、そして2段式寝台に改良されたA寝台も連結されていました。
「きたぐに」も3~4回乗った記憶があります。

もう眺めてるだけでも色々思い出して楽しくなりました(笑)

あかん!模型やりたくなってきた!
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2017年

12月15日

(金曜日)

森伊蔵とオーパスワン

こんにちは
院長の山口です。

先日、大先輩の先生のお祝いの会がありまして、恐れ多くも私も参加させていただくことになり、ミナミのお店に行きました。

その後、2次会としてキタにあるなんとも高そうなお店に行くことになりました。
そういうところに慣れてない私としてはキョロキョロしながら座っていると・・・・

大先輩の先生が特別飲ませてくれたお酒が・・・・

「森伊蔵」と
「オーパスワン」!

森伊蔵!
有名な焼酎でほとんど手に入らないらしい。
何年か前、天満の居酒屋で店主が特別もらったのがあるから飲んでみてくださいと言われて飲んだ以来見たことない(笑)
だいたい買いたくても手に入れるのは超難しいらしい。

オーパスワン!
おお・・・この名前!
飲んだことはないけど高いワインと聞いている。
カリフォルニアの高級ワイン・・
というか、やしきたかじんさんがこよなく愛したワインとして有名である。
たかじんさん曰く、「オーパスワン2本くらいはうがいのようなもの!」  ・・らしい

大先輩! ありがとうございます!今日は参加出来てよかったです(笑)

間違いなく自力では飲めませんので、ありがたく飲ませていただきまーす!
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しばし幸せなひと時でありました
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2017年

12月14日

(木曜日)

終活の「相続」するものがヤバい!

こんにちは
院長の山口です。

「田舎の終活」もひと段落。
借りてくれる方も見つかってなんとか出口が見えてきてます。

父の実家にあった大切なもの、お宝(?)などはそのうち整理していきます。


父は父で、自分の「終活」の準備。
もちろん金品などは全くない。
従って何も相続するものはないから心配はない。
だから、兄弟揉めるとかそういうヤバいではありません!


父が私に
「もう、鉄道模型も一通りやりきった。みんな持って行け!」

えっ?いいの?・・・とりあえずいただこうかな・・(笑)

ということで、少しずつ運び出しました。
だいぶ以前にも書きましたが、その量はハンパではない。

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前に書いたときの写真。これでもまだ一部である。

これを少しづつ箱に詰めて貰ってかえります。

非常にまずい!  なんか嫌な予感が・・・・


ヤバい!どーしよう!
子供の頃の「熱」がでてしまったら・・・

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2017年

12月12日

(火曜日)

国鉄出雲市駅とD51の頃

こんにちは
院長の山口です。

私は小学生の頃、「お城」が好きで、お城がある街に行くとお城見物をしてきました。
北は五稜郭から南は熊本城まで機会があれば見てきました。

特に天守閣があってもなくても見に行ってました。
天守閣がなくても、安土城(跡)なんかは歩いているだけでいろいろな想像が出来てそれはそれで面白かったです。

一番最近に見たのは、「丸亀城」と「高松城跡」だったかな。
讃岐うどん食べ歩きに行ったときに見に行きました。

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これは高松城天守跡から瀬戸内海側の風景です。

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これは、丸亀城天守閣です。(とてもかわいい天守閣です)


私が小学生の時(多分5年生??)父が夕方仕事から帰った時に、
「松江城が見たい!」
と言ったのだと思います。(多分)

父はなんとその夜の列車で連れて行ってくれることになったようです。

でもその時の経緯は忘れましたが、松江に行ったことはよく憶えています。
当時は京都から松江に行くのは鉄道が当たり前の時代。しかも距離にして約350キロ。

なにが嬉しいと言ってこんなに長く列車に乗れることでした(笑)

山陰本線京都駅発22:04 (今でもはっきり覚えています)普通夜行列車の出雲市行。
のちにこの列車は普通列車ながら列車名称「山陰」として「のり鉄」の方中心に有名となりましたが、当時はまだ名称もなく、35系、43系(想像ですが)あたりの青と茶色の客車と荷物車と1両だけB寝台を連結した列車でした。
私が乗ったときの牽引機関車はDD54型ディーゼル機関車。当時は山陰線、福知山線に配置されて、京都駅でも大阪駅でも普通に見られました。

この列車は当時から大変人気で乗車率も高く、園部・福知山への終列車の役目もあり、通路までぎっしり乗客がいた記憶があります。
いまでは想像出来ないでしょうが、4人掛けのBOX席に座るためには早くからホームに並ばなくてはなりません!
席に座れないとどうなるかというと、通路やデッキで寝ることになってしますからです!

なんとか座れると、床に新聞紙を引いて靴を脱ぎます。
お向かいに座っている人とお互い了解を得て向かいの座席に足を伸せたりして眠る準備に入るのです
座席に座れなった人は、やはり新聞紙を床に広げて横になります!
それこそトイレに行くのも大変で、寝てる人を蹴飛ばしたりしないよう注意して行きます。

父の子供の時代はそれこそ鉄道乗車というのはそれが当たり前だったので、平気で乗ってます。
「これが夜行列車の乗り方かー」
なーんて思ったものです。

翌朝8時半頃だったかと思いますが、松江到着。
小学生の私は、初めての夜行列車乗車の興奮でほとんど眠れず松江城見学しました。

その後、一畑電鉄に乗って出雲市に到着。
その頃は疲れてきていてもう「ゲロゲロ」状態(笑)

それで、出雲市駅前にたしか当時デパートのようなところがあり(はっきり憶えていません)その屋上で休んでいた時です。

「ぼーっ」(蒸気機関車の汽笛の音)

父の目はキラリ!

そうです、まだ山陰線もこの辺りまでくるとD51が現役で活躍してたのです。
速攻駅へ向かう私たち!

父は写真撮影開始ー!
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上り方面にD51が見えます。
今気づきましたが、敦賀式集煙装置がついていますね!

当時そんなことは興味もなく力なく下を見ている私。

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この写真を見ると私はまあなんとか元気そうですね(笑)
写真手前の線路には架線が見えますので、一畑電鉄の出雲市駅です。

松江城の写真がなくてすいません
いうまでもなく、この夜同じく京都行の夜行列車で帰宅するのでありました。

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2017年

12月08日

(金曜日)

田舎の終活 ~お墓の話

こんにちは
院長の山口です。

今からちょっと前に不思議な経験をしました。
これから書くことは、私が勝手に思い込んだだけかもしれないのですが、でも不思議だったので書いてみます。


私は、この経験まではほとんどお墓参りにも行ったことがなかったし、祖父が亡くなったのも私が北海道に居た時期だったので、お葬式も参列しておりませんでした。

関西に帰ってきて、祖母が亡くなった時に久しぶりに田舎の家(今回の就活のお家で父の実家)に行ってからは、法事等でお墓にも参るようになりました。

その頃のお墓はこんな感じでした。
DSC01353.jpg

びっくりです。
お墓が傾いとるやん!
山口家先祖代々のお墓とありますが、各世帯や個人の墓石もそのままでした。

それ以外にもありました。
DSC01368.jpg
これは、ご先祖様にあたる方が日露戦争にて戦死したために建てられた「忠魂碑」の類だと思います。


お話は戻りますが、あるときから私はなんだか不思議な体験をします。

夜寝ていると、静かーに階段を上がる気配がするのです。そしてしばらくすると寝ている部屋の中に人が入ってくる気配を感じるのです。そしてもう目の前に誰かいるような感じがするので、、目を開けると・・・・
とくに誰もいません。
しかも、毎晩のごとく感じるのです。

私はこのようなものを感じる感性は全くありませんので、連日続くこの様子も特に怖いとか何も思うことなく、夢と現と混じった状態か熟睡できてない状態だと思ってました。
ほとんど毎日のように「それ」はやってくるので、寝ていても「あっ、また来たな!」ってな感じで慣れっこになっていきました。

しかし、何か月も同じ現象を感じるのでなんだろな?と思っていました。


ある日、私は実家に用事で帰った時に、なにげなくふっとこの話を父と母にしました。
その時は「なんだろねー?」みたいな事で終わりました。

後日、父より祖母の納骨や法要がされてなくてなかったとの話を聞きました。
そしてそれから私はもう不思議な現象を感じることはなくなりました。

たぶん、田舎の家の行く末が心配で父を飛び越えて私のところに訴えてきたのではないかと母が言ってました。

ホンマかいな~?
と私も思ったのですが、それからお墓参りは定期的に行くようになりました。


今回の田舎の終活を機会に、父はお墓の整理もすることにしました。
これも父としての終活の一部なのでしょう。


お経をあげてお墓を一つにしていきます。
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忠魂碑のほうも一緒にするため、解体してお寺にお返しします。

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これでご先祖様も安心されたと思います。
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2017年

12月07日

(木曜日)

田舎の終活 ~はたして終わるのかなー?

こんにちは
院長の山口です。

前回は、母屋を除く古い納屋や蔵の処分、井戸の処分などが何とか達成するところまでを書きました。
私は仕事もあり、そんなに手伝うことは出来ませんでしたが、父は何十往復として少しずつ進めていったようです。

もう運転もしないので、電車での移動もありほんと大変だったと思います。

んで、私が一緒に行くときは車を出し、たくさんの荷物や残しておくものを実家まで運びます。

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ちなみに外回りはこんなにすっきりとしました。
ちなみに母屋以外は、以前に納屋のあったところに、プレハブの倉庫を建ててその中に収納しております。

さて、母屋の中ですが、これが大変!!
昔からある重要なものから、生活用品、家具、衣類などまで膨大な物の整理と廃棄が待ってます。

これは、何度かうちも家族総出で手伝いに行きました

もちろん父は平日もせっせと後片付けに足を運んでました。
・・・でも私は知ってます。父が頑張る動機が何であるか!

そうです、なにか家の中に「お宝」があるのではないかとワクワクして片づけてることを。。。(笑)

基本は廃棄するものばかりなので、いらないものはどんどん捨てていきます。
写真なんか撮ってるヒマはありません!

そしてなんとか片付いてきました。

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仏間と床の間がある奥座敷です。
床の間の横に沢山の箱は掛け軸で、あとでゆっくり「お宝」か調べるつもりでしょうか?(笑)

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奥座敷の手前の座敷?
右上の額縁には、〇賀市の市長さんから祖父宛へと書かれています。
私の祖父と祖祖父は政治家さんでした・・・・

CIMG0346.jpg
座敷と縁側です。
縁側の向こうは、昔はそれはそれは大きな池のあるお庭がありました。
欄間がすごくいいです。

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ここは、屋敷の中で唯一の洋間、応接室です。
ここいは先祖代々の色々な興味深いものが置いてありました。

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ここは居間です。
建て替える前の家もここが居間でした。

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台所です。
ここまで綺麗にするのは大変だったと思います。
それにしても広い!
流し台は右手にずっと続いています。
田舎では、さまざまな行事を自宅でやることが多かったからでしょうね。

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ここは2階にある座敷です。
よくわかりませんが、錦鯉の大会の賞状があります。

CIMG0356.jpg
ここも2階。出窓があります。
ここも畳が見えないくらいのいろんな物で一杯でした。

CIMG0357.jpg

とにかくここまでの状態までするのに父は大変だったと思います。
蔵などの解体と産廃の依頼くらいで、あとは自力でやっていたようですから。

この状態にして、だれか借りてくれたらいいなーということで、動き出しました。
私も今回初めて家の中を細かく見ることになりましたが、立派なお家でびっくりしました。

終活というのも大変ですね。




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2017年

12月06日

(水曜日)

田舎の終活のはじまりー!

こんにちは
院長の山口です。

4~5年前くらいから?か、私の父の先祖代々の家や畑、田んぼなどの終活を始めました。
私が小さい頃、よく連れて行ってもらった所謂「田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃんのおうち」である。

江戸時代から続く福井県にある山口家もいよいよ住む人がいなくなってしまったからである

仕方がない。

ひょっとしたら私が田舎暮らしをしたくなった時のためにおいておこうとも思ったのだが・・・
住む気もないし・・
弟もいらんらしいし・・・・

更地にすると固定資産税が高いし、しばらく空家で置いといたのだが、逆に不用心だしどーしたものかと考えていた。

まずは田んぼは、隣接の人に買ってもらう、あるいは譲渡する、あるいは農協に委託するとかで処分するのだが、場所の悪いところは売れない。
畑も荒れ放題。
山もあるそうだが、そんなのどんな境界になているのか今となってはわからないし。。。

将来的ににどうするかはまた考えることにして、またうちの父も、もう高齢ですし父の終活の一部でもあるので、「田舎の終活」を進めてきました。

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私が小さい頃夏休みや冬休みに泊まりに行っていた頃の写真であります。

もちろん、台所は土間にあり、もちろんかまどでした!
まだかまどの灰が温かいと猫が中に潜っていました。
そのまま出てくると一面灰だらけ!
これが、「結構毛だらけ猫灰だらけ!」ってやつです。

関係ないですが、私が小学生の頃は猫が2匹いて、名前はオスの”パンダ”とメスの”チー”。
猫は代が変わってもずっと飼ってました。

お風呂はもちろん、五右衛門風呂!
マキで焚きます。
最初は怖くて湯船に浮いている板に乗れず入れませんでしたが、そのうち慣れて入ってました。

囲炉裏はさすがにもう使用してませんでしたが、天井とかは煤で真っ黒だったと記憶してます。

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玄関の前は異様に広く、敷地内は「蔵」や「納屋」が建っており、小さい頃は入るのも怖かった記憶があります。

その後忘れましたが昭和56年頃に建て替えをしましたが、このころはもう高校生でしたので、新しい家にはほとんど行ったことがありませんでした。



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左上が直近の母屋の玄関あたりです。
左中は車庫と屋外のトイレ。まあ便所ってやつです。小さい頃は祖父が”天然の肥料”をくみ上げ一緒に畑までついて行った覚えがあります(笑)
右上は蔵で、もう外壁が崩れかけて崩壊寸前です。
左中は表玄関と勝手口付近。
中中は車庫と屋外トイレ
右中は蔵を道路から見た様子です。

下左は勝手口です。

下中は、まずは入口にある大きなお庭の解体の様子。そして下左は崩壊寸前の蔵を解体したところです。

蔵の中や納屋の中にはいろんなものが保管されていました。
大きなものでは脱穀機とか石臼とか・・

あと、立派な食器や壺など・・・
父は、
「絶対お宝が埋まってるはずや!」
とか言いながら楽しんでおり、時々古物商の人を呼んで鑑定を楽しんでました・・・(笑)

DSC01346.jpg
そしていくつかある井戸も埋戻しをします。
お祓いをしてから埋戻しをします。
井戸には、「井戸の神様」「水神様」がいるので、呼吸ができるように、それとそこから出ていけるように空気抜きのパイプを入れておきます。

・・・・・そんなの知らんかった・・・・・

DSC01320.jpg

こうして、小さい頃井戸に冷やしたスイカとか、セミやクワガタやカブト虫がいっぱいいた私の田舎の想い出は心の中のものになりました。

しかしこれでおわりではありません!
母屋の整理が残ってます。
これがまた大変でございました・・・・

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2017年

12月05日

(火曜日)

葉原の大カーブ(築堤)にて

こんにちわ
院長の山口です。

こんな写真の見比べも・・。好きです!第三弾

前回は葉原隧道の見比べをしましたが、葉原信号所と新保駅の間には、当時撮影の名所だったという「葉原の大築堤」
または「葉原の大カーブ」と言われるポイントがありました。

位置関係としては、敦賀駅から福井方面に向かって、新保駅→「葉原の大築堤」→葉原信号所→葉原隧道→・・・
となります。

もちろん敦賀方面から上り25‰が続くので、蒸気機関車は煙モクモクの状態で絵になる場所だったらしいです。

CIMG1108.jpg
DD50+DD50+D51+貨物・・・+D51
ですね。

前回にも書きましたが、所謂1000t貨物というやつですね。

北陸トンネルが開通する直前には、北陸本線の輸送は限界を迎えており、しかも単線・非電化・蒸気機関車で急勾配の路線では1列車の輸送量を上げないと運びきれない状況だったそうです。

資料なんかをみると、1000t列車の長さは約400メートルあったそうで、これは新幹線16両の長さと同じくらいになります。
1/80の鉄道模型にすると約5メートル、一般的に有名なNゲージで再現しても、約2.5メートル!

ちょっとお家での再現は大変です。

廃線から約60年。ここは今も存在しています。

CIMG1025.jpg

CIMG1024.jpg

元線路だったところから撮影したものです。

こんな写真の見比べも・・・好きです(恥)
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