山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん
山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG
2018年
06月22日
(金曜日)
北陸線の名車(?) DD50型ディーゼル機関車 レストア物語~その1~
こんにちは
院長の山口です。
・・・さて「DD51」ディーゼル機関車のレストアに取り掛かってみます・・・・
以前の「B20」と一緒にボディーの塗装剥がしは勢いでやっていましました。
塗装を剥がす前の姿をもう少し載せてみます・・・

んー(。´・(ェ)・)

何とも・・・

塗装の塗り分けはこれでいいのだろうか・・・・

屋根のファンもヘロヘロ・・・・

気が付いた・・
このナンバープレートのバックの朱色が本来の色に近いのでは。
これは初心者モデラーにとっては難関に違いない・・・
ボディーを外します。

動力の構造は非常にシンプルです。

とりあえず下回りだけで走らせてみます。
後ろには、室内灯整備を終えた35系客車を繋げてみました。


快調に走行しました( ^ω^ )
さて、塗装剥離後の車体っです。

真鍮の輝きとハンダの跡がよくわかります。

ちょっと触ったり、ハンダの跡を磨いたりしてると・・・・

屋根のパーツや屋根のファンがポロポロ取れちゃいました・・・・w(゚o゚)w

さて・・・
私に対応できるのか・・・?この修理・・
と言うような思いが湧き上がります・・・
これはまず、この車両の資料が要るな!
という結論に至りました。
たった6両しか製造されなかった機関車の詳細がわかる資料があるのか・・?
つづく・・・かな?(笑)

院長の山口です。
・・・さて「DD51」ディーゼル機関車のレストアに取り掛かってみます・・・・
以前の「B20」と一緒にボディーの塗装剥がしは勢いでやっていましました。
塗装を剥がす前の姿をもう少し載せてみます・・・

んー(。´・(ェ)・)

何とも・・・

塗装の塗り分けはこれでいいのだろうか・・・・

屋根のファンもヘロヘロ・・・・

気が付いた・・
このナンバープレートのバックの朱色が本来の色に近いのでは。
これは初心者モデラーにとっては難関に違いない・・・
ボディーを外します。

動力の構造は非常にシンプルです。

とりあえず下回りだけで走らせてみます。
後ろには、室内灯整備を終えた35系客車を繋げてみました。


快調に走行しました( ^ω^ )
さて、塗装剥離後の車体っです。

真鍮の輝きとハンダの跡がよくわかります。

ちょっと触ったり、ハンダの跡を磨いたりしてると・・・・

屋根のパーツや屋根のファンがポロポロ取れちゃいました・・・・w(゚o゚)w

さて・・・
私に対応できるのか・・・?この修理・・
と言うような思いが湧き上がります・・・
これはまず、この車両の資料が要るな!
という結論に至りました。
たった6両しか製造されなかった機関車の詳細がわかる資料があるのか・・?
つづく・・・かな?(笑)
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梅雨のひと時・・・弦交換
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北陸線の名車(?) DD50型ディーゼル機関車 レストア物語~その1~
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大阪北部地震~その時~
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2018年
06月19日
(火曜日)
大阪北部地震~その時~
こんにちは
院長の山口です。
昨日7時58分頃に発生した大阪北部地震。
本当にびっくりしました。
被災された方々には心からお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
この日私は週初めと言うことで、早めに出勤し着替えをしていたときにその地震がやってきました。
凄い突き上げを感じて、「こらあかんわ!」と出入り口の扉を開けに行きました。
私は、阪大病院に居た時に、茨木市に住んでて阪神淡路大震災を体験しました。
実は名神の茨木インター付近の震度は7くらいあったそうで、茨木市もすごい揺れ方でした。
あの時は家の中がぐちゃぐちゃになり停電もあり、外に出るとブロック塀は軒並み崩れ落ちてました。
この時のように長い揺れはなかったのですが、突き上げるような感じが凄くて、あのときとは違う揺れ方だったと思います。
揺れが収まった後、正直しばらく震えました・・・((((;゚Д゚)))))))
心の奥に阪神淡路大震災の事が思い出されたのかもしれません。
幸い、院長室の書類や書籍などが散らばったくらいで、それ以上は被害もなくほっとしました。
でも、高槻や枚方方面の同業の先生方の診療所は結構大変なことになっているようです・・・( ノД`)
この後すぐに近畿方面の鉄道や地下鉄はすべて運転見合わせ。
スタッフも誰一人出勤できないどころか電車に閉じ込められています。
スタッフの無事を確認した後、おそらく本日中は交通機関の復帰できないだろうということで申し訳ありませんが臨時休診と決断しました。
だって家に帰れなくなりますしね。
ご予約いただいてる患者様には予約の変更の連絡をいれるのですが、固定電話も携帯電話も制限がかかり連絡が出来ない状況でしたが、出来る限り連絡をして、診療所を出ました。
天神橋商店街や天満界隈はほとんど普段と変わらない状況のように見えました。
JR天満駅に行ってみます。

写ってないですが、改札の前にはブルーシートがひかれていて座り込んでいる方々もいらっしゃいました。
駅の方に聞くと、もし動いても夕方以降かなとの事。
梅田にちょっと用事があった私は、梅田まで歩いていきました。
暑かったので、「ホワイティー梅田」を通ったのですが、ほとんどお店はしまったまま。
梅田に来たけどやはり用事は果たせず、阪急梅田駅に来てみました。



電車は停まったまま。
改札口の手前にもたくさんの人々が座り込んで電車の復帰を待ってました。
今回の地震は、「六甲高槻断層」と「生駒断層」の交差付近で発生した地震との見解。
やはり残念だが地震の予知は難しいというのが事実でしょう。
しかし、大阪にはまさに大阪市内を貫く「上町断層」というのがある。
この断層は実は、この天神橋筋の直下を貫いているのである(;゜0゜)
この断層も昔から危ないと言われているが・・・・・
もしこの断層が動いたら・・・・たぶんアウトかなと思っています。
その後電車復帰を待ってなんとか家にたどり着きました。
うちの鉄道会社はどーなってるのか!w(゚o゚)w

なんとか転落することなく脱線程度で済みました!(゚∀゚)
院長の山口です。
昨日7時58分頃に発生した大阪北部地震。
本当にびっくりしました。
被災された方々には心からお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
この日私は週初めと言うことで、早めに出勤し着替えをしていたときにその地震がやってきました。
凄い突き上げを感じて、「こらあかんわ!」と出入り口の扉を開けに行きました。
私は、阪大病院に居た時に、茨木市に住んでて阪神淡路大震災を体験しました。
実は名神の茨木インター付近の震度は7くらいあったそうで、茨木市もすごい揺れ方でした。
あの時は家の中がぐちゃぐちゃになり停電もあり、外に出るとブロック塀は軒並み崩れ落ちてました。
この時のように長い揺れはなかったのですが、突き上げるような感じが凄くて、あのときとは違う揺れ方だったと思います。
揺れが収まった後、正直しばらく震えました・・・((((;゚Д゚)))))))
心の奥に阪神淡路大震災の事が思い出されたのかもしれません。
幸い、院長室の書類や書籍などが散らばったくらいで、それ以上は被害もなくほっとしました。
でも、高槻や枚方方面の同業の先生方の診療所は結構大変なことになっているようです・・・( ノД`)
この後すぐに近畿方面の鉄道や地下鉄はすべて運転見合わせ。
スタッフも誰一人出勤できないどころか電車に閉じ込められています。
スタッフの無事を確認した後、おそらく本日中は交通機関の復帰できないだろうということで申し訳ありませんが臨時休診と決断しました。
だって家に帰れなくなりますしね。
ご予約いただいてる患者様には予約の変更の連絡をいれるのですが、固定電話も携帯電話も制限がかかり連絡が出来ない状況でしたが、出来る限り連絡をして、診療所を出ました。
天神橋商店街や天満界隈はほとんど普段と変わらない状況のように見えました。
JR天満駅に行ってみます。

写ってないですが、改札の前にはブルーシートがひかれていて座り込んでいる方々もいらっしゃいました。
駅の方に聞くと、もし動いても夕方以降かなとの事。
梅田にちょっと用事があった私は、梅田まで歩いていきました。
暑かったので、「ホワイティー梅田」を通ったのですが、ほとんどお店はしまったまま。
梅田に来たけどやはり用事は果たせず、阪急梅田駅に来てみました。



電車は停まったまま。
改札口の手前にもたくさんの人々が座り込んで電車の復帰を待ってました。
今回の地震は、「六甲高槻断層」と「生駒断層」の交差付近で発生した地震との見解。
やはり残念だが地震の予知は難しいというのが事実でしょう。
しかし、大阪にはまさに大阪市内を貫く「上町断層」というのがある。
この断層は実は、この天神橋筋の直下を貫いているのである(;゜0゜)
この断層も昔から危ないと言われているが・・・・・
もしこの断層が動いたら・・・・たぶんアウトかなと思っています。
その後電車復帰を待ってなんとか家にたどり着きました。
うちの鉄道会社はどーなってるのか!w(゚o゚)w

なんとか転落することなく脱線程度で済みました!(゚∀゚)
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大阪北部地震~その時~
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”ジャイアンツ色”の阪神特急電車
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Title: 大阪北部地震~その時~ >>
2018年
06月18日
(月曜日)
臨時休診のお知らせ。
本日7時58分頃に発生した大阪北部地震の影響で、本日休診させていただきます。
ご予約いただいてる患者様には順番にお電話しているのですが、接続できない状況になっているようです。
ご迷惑をおかけしますが何卒宜しくお願い致します。
山口
ご予約いただいてる患者様には順番にお電話しているのですが、接続できない状況になっているようです。
ご迷惑をおかけしますが何卒宜しくお願い致します。
山口
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診療時間変更・休診のお知らせです (ご確認ください)
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Title: 臨時休診のお知らせ。 >>
2018年
06月14日
(木曜日)
”ジャイアンツ色”の阪神特急電車
こんにちは
院長の山口です。
1~2年くらい前だろうか・・・
阪神梅田駅で電車を待っていると、普通電車が入線してきた。
あれ?
見たことない車両だ!新型車か?
綺麗だ!
とりあえず写メ!

それで、そのあとで阪急電車大好きなある方に、
「阪神電車の普通の車両が新型になってる!」
と言ったら、
「それ、中身は昔の阪急の車両を使ってるんよ」
とまるで、阪神電車を見下したかのように(笑)言ってのけられました。
よーわからん(´・_・`)
とにかく今風でいいなと思うだけ!
これだから鉄は・・・(以下略)
え?
人のことを言えるのかって?
ところで、今年の阪神タイガース。
どーなってるねん?
と言いたい今日この頃。
そういえば、阪神電鉄の株主総会で、
「阪神電車の特急車両の色が”ジャイアンツ色”なのはどーいうことか」
と質問があったそうw(゚o゚)w
それはダメでしょう(笑)
やはり黄色と黒で行かねば!!キャ(/ω\*))((*/ωヽ)ァァ

院長の山口です。
1~2年くらい前だろうか・・・
阪神梅田駅で電車を待っていると、普通電車が入線してきた。
あれ?
見たことない車両だ!新型車か?
綺麗だ!
とりあえず写メ!

それで、そのあとで阪急電車大好きなある方に、
「阪神電車の普通の車両が新型になってる!」
と言ったら、
「それ、中身は昔の阪急の車両を使ってるんよ」
とまるで、阪神電車を見下したかのように(笑)言ってのけられました。
よーわからん(´・_・`)
とにかく今風でいいなと思うだけ!
これだから鉄は・・・(以下略)
え?
人のことを言えるのかって?
ところで、今年の阪神タイガース。
どーなってるねん?
と言いたい今日この頃。
そういえば、阪神電鉄の株主総会で、
「阪神電車の特急車両の色が”ジャイアンツ色”なのはどーいうことか」
と質問があったそうw(゚o゚)w
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”ジャイアンツ色”の阪神特急電車
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1枚の写真から・・・三菱コルト
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Title: ”ジャイアンツ色”の阪神特急電車 >>
2018年
06月06日
(水曜日)
1枚の写真から・・・三菱コルト
こんにちは
院長の山口です。
今回の1枚の写真です。

これは、三菱自動車の「コルト」です。
以前に「三菱500」のお話をしましたが、昭和37年に「三菱500」の排気量をアップしデザインと名前も変えて「コルト600」としてモデルチェンジしました。
この時代になると、一般大衆車が1000ccに移行しつつあったため、昭和38年に「コルト1000」とモデルチェンジして発売されました。
この「コルト」という車は非常に複雑な誕生をした車らしく、この後昭和40年には、「コルト800」という日本初のファストバックモデルを発売しているのである。
この「コルト800」は、「三菱500」→「コルト600」→「コルト1000」という流れとは別に発生した車のようです。
事実。「コルト800」のエンジンは、他のコルトは水冷直列4気筒エンジンなのに、空冷直列3気筒2サイクルエンジンでした。
どうもこれは、「三菱360」~「三菱ミニカ」の流れを持つ岡山県水島工場と、「三菱500」~「三菱600」の流れを持つ名古屋工場(エンジンは京都工場)でそれぞれ開発をしていたという流れがあるらしい。
まだ、三菱自動車工業がなかったとはいえ、なんか適当というかもったいない気がします。
昭和39年には、”走るシーラカンス”といわれ22年間もフルモデルチェンジをしなかった初代「デボネア」が誕生するのですが、
2000ccクラスとの間を埋めるために、昭和40年に少しサイズを大きくした「コルト1500」を発売しました。
昭和41年、ファストバックの「コルト800」に1000ccのエンジンをのせた「コルト1000F」を発売。
それに合わせて、100ccの排気量アップで「コルト1100」を発売し、これでセダンとファストバックの「コルト」が揃ったわけである。
このあと、車種整理を繰り返して、昭和44年「コルト」は生産を終了。
セダンの「コルト」は昭和44年12月から「コルトギャラン」へ、ファストバックの「コルトF」はその昭和46年までで生産終了。後の「ランサー」へつながるのであります。
さて、写真の車は「コルト1000」だろうか?
デビュー時は丸型2灯で昭和40年からは丸型4灯、昭和43年のマイナーチェンジ後は角型2灯だし・・・
初期のモデルであることは違いないと思うのだが・・・・フロントグリルが違うのである。
私の持っている雑誌「ドライバー」の昭和49年発行の臨時増刊号「日本のクルマ100年」という雑誌を見てみると・・・
昭和42年4月に若干のマイナーチェンジをしているようで、そこに乗っている写真を見ると、これと同じフロントマスクをつけているのは、
「コルト1100」となっていたp(*^-^*)q
たぶん「コルト1000/1100」は丸型2灯で「コルト1500」は丸型4灯ということですね。
その時フロントグリルも若干変更したということだろう。
これで、解決しました・・・?
人が写ってない写真だったらよかったんですが・・(´・_・`)
小さい頃、いろいろと遊んでくれた叔父さんです(ノ)’∀`(ヾ)

院長の山口です。
今回の1枚の写真です。

これは、三菱自動車の「コルト」です。
以前に「三菱500」のお話をしましたが、昭和37年に「三菱500」の排気量をアップしデザインと名前も変えて「コルト600」としてモデルチェンジしました。
この時代になると、一般大衆車が1000ccに移行しつつあったため、昭和38年に「コルト1000」とモデルチェンジして発売されました。
この「コルト」という車は非常に複雑な誕生をした車らしく、この後昭和40年には、「コルト800」という日本初のファストバックモデルを発売しているのである。
この「コルト800」は、「三菱500」→「コルト600」→「コルト1000」という流れとは別に発生した車のようです。
事実。「コルト800」のエンジンは、他のコルトは水冷直列4気筒エンジンなのに、空冷直列3気筒2サイクルエンジンでした。
どうもこれは、「三菱360」~「三菱ミニカ」の流れを持つ岡山県水島工場と、「三菱500」~「三菱600」の流れを持つ名古屋工場(エンジンは京都工場)でそれぞれ開発をしていたという流れがあるらしい。
まだ、三菱自動車工業がなかったとはいえ、なんか適当というかもったいない気がします。
昭和39年には、”走るシーラカンス”といわれ22年間もフルモデルチェンジをしなかった初代「デボネア」が誕生するのですが、
2000ccクラスとの間を埋めるために、昭和40年に少しサイズを大きくした「コルト1500」を発売しました。
昭和41年、ファストバックの「コルト800」に1000ccのエンジンをのせた「コルト1000F」を発売。
それに合わせて、100ccの排気量アップで「コルト1100」を発売し、これでセダンとファストバックの「コルト」が揃ったわけである。
このあと、車種整理を繰り返して、昭和44年「コルト」は生産を終了。
セダンの「コルト」は昭和44年12月から「コルトギャラン」へ、ファストバックの「コルトF」はその昭和46年までで生産終了。後の「ランサー」へつながるのであります。
さて、写真の車は「コルト1000」だろうか?
デビュー時は丸型2灯で昭和40年からは丸型4灯、昭和43年のマイナーチェンジ後は角型2灯だし・・・
初期のモデルであることは違いないと思うのだが・・・・フロントグリルが違うのである。
私の持っている雑誌「ドライバー」の昭和49年発行の臨時増刊号「日本のクルマ100年」という雑誌を見てみると・・・
昭和42年4月に若干のマイナーチェンジをしているようで、そこに乗っている写真を見ると、これと同じフロントマスクをつけているのは、
「コルト1100」となっていたp(*^-^*)q
たぶん「コルト1000/1100」は丸型2灯で「コルト1500」は丸型4灯ということですね。
その時フロントグリルも若干変更したということだろう。
これで、解決しました・・・?
人が写ってない写真だったらよかったんですが・・(´・_・`)
小さい頃、いろいろと遊んでくれた叔父さんです(ノ)’∀`(ヾ)
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1枚の写真から・・・三菱コルト
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”C62ニセコ号”を追いかける! ~倶知安機関区にて~
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Title: 1枚の写真から・・・三菱コルト >>
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