山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん
山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG
2018年
08月24日
(金曜日)
北陸線の名車(?) DD50型ディーゼル機関車 レストア物語~その3~
こんにちは
院長の山口です。
さて、全然進まない「DD50」型機関車のレストア・・・・
資料も手に入ったことだし、もう少しさわってみます。

これは、塗装落としたばかりのものです。

まずはラジエターファンが取れました。

前方からです。

後方からです。
分かりませんが、かなり強引なハンダがされているような・・・・
とりあえず”キサゲ”の練習を兼ねてハンダされているところをゴリゴリとやってみます。

ステップのあるところにハンダを持って、ヤスリ等でシコシコ・・・
あれ?
また部品が取れてきた・・・・(´・_・`)


つまりは、取れてくるところは「ハンダ」でなく「接着剤」を使用しているということなのか・・・
今まで全く気が付かなかったが、前照灯カバーの形が違います。
これも、手に入れた資料「DD50」を熟読したおかげか・・(笑)
とりあえず、前照灯カバーをハンダにて取り付けしてみます。
真鍮模型のハンダ付けは、配線のハンダ付けと違いしっかり熱してやらなくてはハンダが流れません。
・・・なるほど・・・
余分に付いたところはヤスったりキサゲったり・・・
ホントへたくそである。がなんとか形になったかな。

前照灯はもちろん点灯させたいと思っております。

しかし・・・ほんとうにこんな風になるのか・・・w( ̄o ̄)w ふ・あ・ん 汗

院長の山口です。
さて、全然進まない「DD50」型機関車のレストア・・・・
資料も手に入ったことだし、もう少しさわってみます。

これは、塗装落としたばかりのものです。

まずはラジエターファンが取れました。

前方からです。

後方からです。
分かりませんが、かなり強引なハンダがされているような・・・・
とりあえず”キサゲ”の練習を兼ねてハンダされているところをゴリゴリとやってみます。

ステップのあるところにハンダを持って、ヤスリ等でシコシコ・・・
あれ?
また部品が取れてきた・・・・(´・_・`)


つまりは、取れてくるところは「ハンダ」でなく「接着剤」を使用しているということなのか・・・
今まで全く気が付かなかったが、前照灯カバーの形が違います。
これも、手に入れた資料「DD50」を熟読したおかげか・・(笑)
とりあえず、前照灯カバーをハンダにて取り付けしてみます。
真鍮模型のハンダ付けは、配線のハンダ付けと違いしっかり熱してやらなくてはハンダが流れません。
・・・なるほど・・・
余分に付いたところはヤスったりキサゲったり・・・
ホントへたくそである。がなんとか形になったかな。

前照灯はもちろん点灯させたいと思っております。

しかし・・・ほんとうにこんな風になるのか・・・w( ̄o ̄)w ふ・あ・ん 汗
- 関連記事
-
-
北陸線の名車(?) DD50型ディーゼル機関車 レストア物語~番外~
-
北陸線の名車(?) DD50型ディーゼル機関車 レストア物語~その3~
-
新保駅跡にて・・・
-
2018年
08月23日
(木曜日)
新保駅跡にて・・・
こんにちは
院長の山口です。
先日入手した「DD50」型機関車の雑誌を熟読しております(笑)
前にも書きましたがこの本です。

今回は、この雑誌に載っている記事などから、旧北陸線時代の「新保駅」について書いてみます。
以前、”こんな見比べも・・”と称して、
「大桐駅跡」
「葉原隧道」
「葉原の大カーブ」
について書きましたが、この新保駅というのは、敦賀駅から葉原の大カーブの間にある、敦賀のとなりの駅でした。
敦賀駅からすぐに上り勾配(12.5‰)を進むと、現在の北陸トンネルの入り口付近にあった「深山信号所」があり、いよいよここから25‰の勾配が「葉原隧道」まで続きます。
この途中、獺河内(うそごうち)の集落あたりに”スイッチバック式”の新保駅がありました。
実際の新保と言う集落はさらにもっと山の中に入っていったところにあるのですが、駅名はなぜか新保駅でした。
さて、実際の配線図がありましたので載せてみます。

(鉄ピクNo.573 より)
横向きなのは、ちょうどこうすれば南北が一致するのでわかりやすいかなということで。
つまり下が米原方面、上が金沢・直江津方面ですね。
この図のいちばん左側が新保駅の配線図になります。
つまり敦賀駅を出た列車は25‰勾配を図の下から登ってくるわけです。
通過する列車は本線(右側つまり東側)からホームに入らずに両渡り線(配線図にある”バッテン”のあるところ)を交差通過してこんどは左側の本線を登っていくわけです。
駅に停まる場合は、いったん両渡り線をまっすぐ行き止まりの側線に入って停車。その後バックで両渡り線を渡ってホームに入ることになります。
この両渡線付近と側線、そしてホームのあるところは水平になっています。
勾配に駅を作ると危険なのでこういう方法を取ります。典型的な”スイッチバック”式の駅ですね。
日本全国にたくさんの”スイッチバック”の駅や信号所がありましたが、現在はだいぶ少なくなりました。
まずは、この全景がわかる貴重な写真から!

これは、直江津側から敦賀方面に向けて撮影されたものです。
蛇のようにS字にくねらしながら列車が向かってきます。
列車先頭が走っていく手前右手の線路が本線です。
その左手が行き止まりの側線です。本線と側線との高低差がわかりますね。
客車後方はまだ本線上ですので、右手に見えるホーム(ホームは水平です)に比べてだいぶ高低差がみられます。
S字になっているあたりの左手にある三角屋根の2階建ての建物は信号所の建物です。
ここから、駅構内すべてのポイント(分岐器)の操作を行っています。
この列車は、「DF50」型ディーゼル機関車+客車+「D51」型蒸気機関車(補機)の客車列車ですね。
補機の煙がスゴイ・・・・・w(゚o゚)w
これをもう少し角度を変えて撮ったものがあります。

これですね!”1000t貨物”v(o゚∀゚o)v
「DD50」+「DD50」+「D51」+貨物・・・・+「D51」
凄まじいい轟音と煙だったでしょうね・・・ 先頭機関車のヘッドライトも真っ黒です。
すでに本線と側線の高低差がかなりついています。
後部補機はわからないほど後方なんでしょうね。
さらにもっと手前で撮影されたのがあります。

これも”1000t貨物”列車ですが、先頭の「DD50」は2次型です。
右手に見える大きな屋根の建物は、浄光寺というお寺でもちろん今もあります。

これは、新保駅ホーム横から右手本線に気動車が走行している写真です。
本線側には「25‰」の標識が見えます。

これは、敦賀方面から上ってきた”1000t貨物”が、信号所横の両渡り線にさしかかるところですね。
右手に新保駅のホームが見えます。
この時代から半世紀以上も経ちました・・・・
今この場所は・・・

ちょうどこの信号所の建ってた場所に記念碑が建てらてています。
下には当時の駅配線図も書かれています。
奥に見える橋は、北陸自動車道です。
この信号所跡から駅のあったほうを見てみると・・・・

もうほとんど痕跡はみあたりません。
右手奥にあるお墓のあたりからホームが続いていたのでしょうか・・
この旧北陸線跡・・・・私のように尋ねる方は少なくないようです・・・・(/∀\*)
この時代の”1000t貨物”列車を再現すべく「DD50」機関車をなんとか再生させたいが・・・
まだまだ未熟の私としては遠いかも?

院長の山口です。
先日入手した「DD50」型機関車の雑誌を熟読しております(笑)
前にも書きましたがこの本です。

今回は、この雑誌に載っている記事などから、旧北陸線時代の「新保駅」について書いてみます。
以前、”こんな見比べも・・”と称して、
「大桐駅跡」
「葉原隧道」
「葉原の大カーブ」
について書きましたが、この新保駅というのは、敦賀駅から葉原の大カーブの間にある、敦賀のとなりの駅でした。
敦賀駅からすぐに上り勾配(12.5‰)を進むと、現在の北陸トンネルの入り口付近にあった「深山信号所」があり、いよいよここから25‰の勾配が「葉原隧道」まで続きます。
この途中、獺河内(うそごうち)の集落あたりに”スイッチバック式”の新保駅がありました。
実際の新保と言う集落はさらにもっと山の中に入っていったところにあるのですが、駅名はなぜか新保駅でした。
さて、実際の配線図がありましたので載せてみます。

(鉄ピクNo.573 より)
横向きなのは、ちょうどこうすれば南北が一致するのでわかりやすいかなということで。
つまり下が米原方面、上が金沢・直江津方面ですね。
この図のいちばん左側が新保駅の配線図になります。
つまり敦賀駅を出た列車は25‰勾配を図の下から登ってくるわけです。
通過する列車は本線(右側つまり東側)からホームに入らずに両渡り線(配線図にある”バッテン”のあるところ)を交差通過してこんどは左側の本線を登っていくわけです。
駅に停まる場合は、いったん両渡り線をまっすぐ行き止まりの側線に入って停車。その後バックで両渡り線を渡ってホームに入ることになります。
この両渡線付近と側線、そしてホームのあるところは水平になっています。
勾配に駅を作ると危険なのでこういう方法を取ります。典型的な”スイッチバック”式の駅ですね。
日本全国にたくさんの”スイッチバック”の駅や信号所がありましたが、現在はだいぶ少なくなりました。
まずは、この全景がわかる貴重な写真から!

これは、直江津側から敦賀方面に向けて撮影されたものです。
蛇のようにS字にくねらしながら列車が向かってきます。
列車先頭が走っていく手前右手の線路が本線です。
その左手が行き止まりの側線です。本線と側線との高低差がわかりますね。
客車後方はまだ本線上ですので、右手に見えるホーム(ホームは水平です)に比べてだいぶ高低差がみられます。
S字になっているあたりの左手にある三角屋根の2階建ての建物は信号所の建物です。
ここから、駅構内すべてのポイント(分岐器)の操作を行っています。
この列車は、「DF50」型ディーゼル機関車+客車+「D51」型蒸気機関車(補機)の客車列車ですね。
補機の煙がスゴイ・・・・・w(゚o゚)w
これをもう少し角度を変えて撮ったものがあります。

これですね!”1000t貨物”v(o゚∀゚o)v
「DD50」+「DD50」+「D51」+貨物・・・・+「D51」
凄まじいい轟音と煙だったでしょうね・・・ 先頭機関車のヘッドライトも真っ黒です。
すでに本線と側線の高低差がかなりついています。
後部補機はわからないほど後方なんでしょうね。
さらにもっと手前で撮影されたのがあります。

これも”1000t貨物”列車ですが、先頭の「DD50」は2次型です。
右手に見える大きな屋根の建物は、浄光寺というお寺でもちろん今もあります。

これは、新保駅ホーム横から右手本線に気動車が走行している写真です。
本線側には「25‰」の標識が見えます。

これは、敦賀方面から上ってきた”1000t貨物”が、信号所横の両渡り線にさしかかるところですね。
右手に新保駅のホームが見えます。
この時代から半世紀以上も経ちました・・・・
今この場所は・・・

ちょうどこの信号所の建ってた場所に記念碑が建てらてています。
下には当時の駅配線図も書かれています。
奥に見える橋は、北陸自動車道です。
この信号所跡から駅のあったほうを見てみると・・・・

もうほとんど痕跡はみあたりません。
右手奥にあるお墓のあたりからホームが続いていたのでしょうか・・
この旧北陸線跡・・・・私のように尋ねる方は少なくないようです・・・・(/∀\*)
この時代の”1000t貨物”列車を再現すべく「DD50」機関車をなんとか再生させたいが・・・
まだまだ未熟の私としては遠いかも?
- 関連記事
Title: 新保駅跡にて・・・ >>
2018年
08月18日
(土曜日)
8月になると・・・・
こんにちは
院長の山口です。
お盆もおわり、少し涼しくなった気がします。
まあ、多分まだまだ残暑は続くと思いますが。
この時期は暑くて、ハンダ作業をする気にならないですね(T_T)
お盆と言えば、今年もお墓参りに行ってきました。
そして、中高時代からの友人と、JR宇治駅で待ち合わせして、駅近の居酒屋で懐かしい話を肴に飲みまくり、その後近くのライブハウスでまた飲みまくり!
去年は、朝までカラオケBOXで歌いまくりをしてましたが、飲み過ぎによる流血事故(笑)もあり、今年は電車のあるうちに解散しました。
今年もまた、知る限りで数名の物故者の名前を聞きました(つω-`。)
それもあるのか、来年早々に同窓会をする流れになっているとのこと。
いいことだと思います。
今から33年前の昭和60年8月12日。
私は大学生になって初めての夏休みで、実家に帰省していました。
当日、昼過ぎ頃から小学生時代からの友人宅に遊びに行っており、レコード(古い?)聞いたり、ギター弾いたりして過ごしていましたが、19時前後だったか友人がお酒かおつまみかなにか忘れたが、部屋を出ていき、戻ってきたときに、
「なんか飛行機が落ちたらしいぞ・・」と言って入ってきたのを今でも覚えてます。
いわゆる「日航機墜落事故」ですね。

尾翼が爆発でなくなってしまうなんて・・誰が予想できたでしょう。
8月になると・・・
広島・長崎原爆投下・・
日航墜落事故・・
終戦記念日・・
死ぬ予定のなかった、たくさんの夢や希望を持っていた人たちの魂はどこにいくのだろうと毎年ながら考えてしまいます。


院長の山口です。
お盆もおわり、少し涼しくなった気がします。
まあ、多分まだまだ残暑は続くと思いますが。
この時期は暑くて、ハンダ作業をする気にならないですね(T_T)
お盆と言えば、今年もお墓参りに行ってきました。
そして、中高時代からの友人と、JR宇治駅で待ち合わせして、駅近の居酒屋で懐かしい話を肴に飲みまくり、その後近くのライブハウスでまた飲みまくり!
去年は、朝までカラオケBOXで歌いまくりをしてましたが、飲み過ぎによる流血事故(笑)もあり、今年は電車のあるうちに解散しました。
今年もまた、知る限りで数名の物故者の名前を聞きました(つω-`。)
それもあるのか、来年早々に同窓会をする流れになっているとのこと。
いいことだと思います。
今から33年前の昭和60年8月12日。
私は大学生になって初めての夏休みで、実家に帰省していました。
当日、昼過ぎ頃から小学生時代からの友人宅に遊びに行っており、レコード(古い?)聞いたり、ギター弾いたりして過ごしていましたが、19時前後だったか友人がお酒かおつまみかなにか忘れたが、部屋を出ていき、戻ってきたときに、
「なんか飛行機が落ちたらしいぞ・・」と言って入ってきたのを今でも覚えてます。
いわゆる「日航機墜落事故」ですね。

尾翼が爆発でなくなってしまうなんて・・誰が予想できたでしょう。
8月になると・・・
広島・長崎原爆投下・・
日航墜落事故・・
終戦記念日・・
死ぬ予定のなかった、たくさんの夢や希望を持っていた人たちの魂はどこにいくのだろうと毎年ながら考えてしまいます。

- 関連記事
-
-
新保駅跡にて・・・
-
8月になると・・・・
-
昭和93年 夏・・・
-
Title: 8月になると・・・・ >>
2018年
08月08日
(水曜日)
昭和93年 夏・・・
こんにちは
院長の山口です。
最近テレビでは、”リアルVシネマ”のような報道が続いておりますが(^_^;)・・・・
今朝も悲しいお知らせが報道されてました。
そう、津川雅彦さんの訃報でした。
まさに私が子供の頃からテレビや映画で当たり前の如く出演されておりました。
私が記憶にある津川雅彦さんの最初の番組は確か「野々村病院物語」というドラマだったと思います。
役所としては、宇津井健さんが院長である野々村病院の腕のいい外科医で、たしか看護師(たしか夏目雅子さん?)と不倫している役だったと思います。
これくらいしか覚えてないが、この後津川さんは、渡辺淳一作のドラマなどで医師の役を沢山されており、なぜか私は、
”優秀だけどちょっとワルなお医者さん”
の役のイメージが強かったですね。
その後は、伊丹十三映画では常連さんでしたね・・・・
今年になってからでも、私が咄嗟に思い出した方で、
星野仙一さん
衣川祥雄さん
加藤剛さん
夏木陽介さん
桂歌丸さん
西城秀樹さん
井上堯之さん
・
・
まだまだ大杉蓮さんとか、有賀さつきさんとか・・・いらっしゃいますが。
もう、ほんとに私が子供の頃にあった”昭和”がどんどん無くなっていきます(っω・`。)


院長の山口です。
最近テレビでは、”リアルVシネマ”のような報道が続いておりますが(^_^;)・・・・
今朝も悲しいお知らせが報道されてました。
そう、津川雅彦さんの訃報でした。
まさに私が子供の頃からテレビや映画で当たり前の如く出演されておりました。
私が記憶にある津川雅彦さんの最初の番組は確か「野々村病院物語」というドラマだったと思います。
役所としては、宇津井健さんが院長である野々村病院の腕のいい外科医で、たしか看護師(たしか夏目雅子さん?)と不倫している役だったと思います。
これくらいしか覚えてないが、この後津川さんは、渡辺淳一作のドラマなどで医師の役を沢山されており、なぜか私は、
”優秀だけどちょっとワルなお医者さん”
の役のイメージが強かったですね。
その後は、伊丹十三映画では常連さんでしたね・・・・
今年になってからでも、私が咄嗟に思い出した方で、
星野仙一さん
衣川祥雄さん
加藤剛さん
夏木陽介さん
桂歌丸さん
西城秀樹さん
井上堯之さん
・
・
まだまだ大杉蓮さんとか、有賀さつきさんとか・・・いらっしゃいますが。
もう、ほんとに私が子供の頃にあった”昭和”がどんどん無くなっていきます(っω・`。)

- 関連記事
-
-
8月になると・・・・
-
昭和93年 夏・・・
-
北陸線の名車(?) DD50型ディーゼル機関車 レストア物語~その2~
-
Title: 昭和93年 夏・・・ >>
2018年
08月06日
(月曜日)
北陸線の名車(?) DD50型ディーゼル機関車 レストア物語~その2~
こんにちは
院長の山口です。
またまたしばらく未更新でありました(~_~;)
しかし、毎日凄まじい暑さであります。
さすがにグッタリしますね。
さて、北陸線の名車!である「DD50」のレストアを始めました・・・といいながら、なにか資料がないかと探しておりました。
そして・・・・やっと見つけました!

このような本ってあるんですね(;゜0゜)
まるごと1冊「DD50」型ディーゼル機関車の内容です。
その名も、レイルロードから出されている「国鉄 DD50 車両アルバム」ってやつです。
ほんとこれ1冊で「DD50」についてわかってしまします!っていう感じです。
もちろん図面・平面図は当たり前です。


1次型と2次型両方あります。

もちろん当時現役時代の写真も豊富にあります。
今は北陸自動車道の杉津PAあたりから敦賀湾をながめて走る様子や、敦賀駅から一つ目のスイッチバックのある新保駅を1000t貨物の先頭補機を務める写真もあります。

昭和32年に、現在の近江塩津から新疋田に抜ける深坂トンネル経由の新線に切り替わり、旧線は「柳ケ瀬線」という一支線になったのですが、この時に、
”D+T+T+D”(つまりDD50+客車+客車+DD50と言う編成)
で使用していた時の写真まで載っていました。

戦争が終わってまだ10年そこそこ。
やはりこの時代の北陸線の写真は少ないので、貴重な資料ですね。
いよいよ廃車が近い頃の写真もあります。

そして、各部の拡大写真も豊富にあり、模型つくりの参考になりそうです。

さて、まずはこの雑誌を熟読してみます(笑)

院長の山口です。
またまたしばらく未更新でありました(~_~;)
しかし、毎日凄まじい暑さであります。
さすがにグッタリしますね。
さて、北陸線の名車!である「DD50」のレストアを始めました・・・といいながら、なにか資料がないかと探しておりました。
そして・・・・やっと見つけました!

このような本ってあるんですね(;゜0゜)
まるごと1冊「DD50」型ディーゼル機関車の内容です。
その名も、レイルロードから出されている「国鉄 DD50 車両アルバム」ってやつです。
ほんとこれ1冊で「DD50」についてわかってしまします!っていう感じです。
もちろん図面・平面図は当たり前です。


1次型と2次型両方あります。

もちろん当時現役時代の写真も豊富にあります。
今は北陸自動車道の杉津PAあたりから敦賀湾をながめて走る様子や、敦賀駅から一つ目のスイッチバックのある新保駅を1000t貨物の先頭補機を務める写真もあります。

昭和32年に、現在の近江塩津から新疋田に抜ける深坂トンネル経由の新線に切り替わり、旧線は「柳ケ瀬線」という一支線になったのですが、この時に、
”D+T+T+D”(つまりDD50+客車+客車+DD50と言う編成)
で使用していた時の写真まで載っていました。

戦争が終わってまだ10年そこそこ。
やはりこの時代の北陸線の写真は少ないので、貴重な資料ですね。
いよいよ廃車が近い頃の写真もあります。

そして、各部の拡大写真も豊富にあり、模型つくりの参考になりそうです。

さて、まずはこの雑誌を熟読してみます(笑)
- 関連記事
-
-
昭和93年 夏・・・
-
北陸線の名車(?) DD50型ディーゼル機関車 レストア物語~その2~
-
梅雨のひと時・・・弦交換
-
2018年
08月02日
(木曜日)
夏期休診(お盆休み)のお知らせ
夏期休診(お盆休み)のお知らせです。
8月11日(土)~8月16日(木) は休診とさせていただきます。
何卒宜しくお願い致します。
8月11日(土)~8月16日(木) は休診とさせていただきます。
何卒宜しくお願い致します。
- 関連記事
-
-
臨時休診のお知らせです。
-
夏期休診(お盆休み)のお知らせ
-
診療時間変更・休診のお知らせです (ご確認ください)
-
Title: 夏期休診(お盆休み)のお知らせ >>
Copyright (C) 2006 山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん rights reserved.
Template&Material:TENTEN★くらぶ