山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん
山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG
2018年
10月19日
(金曜日)
今はもう昔の良きクルマ・・・石原裕次郎記念館にて
こんにちは
院長の山口です。
私が小学生4年生頃に始まったテレビドラマ「太陽にほえろ!」は男の子は特に必ず観ていたと思います。
石原裕次郎さん扮する”藤堂係長”通称”ボス”は当時まだ30代であったが、なんかもっと年上に感じた記憶があります。
「太陽にほえろ!」がテレビで大当たりして、その後「大都会」と続き、かの有名な「西部警察」が始まるのである。
西部警察の撮影中に石原裕次郎さんは倒れられ、その後ご存知のように闘病生活ののち、昭和62年7月に亡くなられました。
私が大学を卒業した年に、裕次郎とゆかりの深い小樽市に「石原裕次郎記念館」がオープンしたのでありました。
石原裕次郎さんは好きでしたので、何回か行きました。
最後に見に行ったのは、2年前。
もう昔のように混雑はしてなかったけど、まあまあ来館者はおられました。
館内は撮影禁止でしたが、エントランスに並べられた撮影(西部警察)に使用された車は撮影OKでした。

右側のクルマは「日産 ガゼール」
石原裕次郎扮する小暮課長専用車である。
「ガゼール」は当時の「シルビア」の姉妹車で、結構短命な車であった。
やや「シルビア」より高級感を打ち出していたような記憶があります。
三菱で言うと、「ギャラン」と「エテルナ」?
トヨタの「マークⅡ」「クレスタ」「チェイサー」? カローラの「レビン」「トレノ」?
当時はこんな姉妹車が沢山ありました・・・

オープンカーで、裕次郎さんがドアを開けずに飛び乗っていた記憶がありますね。
左側のクルマは、「日産 フェアレディーZ 280Tバールーフ」 S130型ですね。
大門団長がショットガンを撃ちながら乗ってた車ですね・・・知らんけど・・・

特徴は、ガルウィングのドア!
なんでもこの車は、MTしかない車だそうだが、大門団長はMTの運転が苦手なためATになっているとの事w(゚o゚)w
当時の日産の名機「L28」エンジンという、”L”型エンジンである、
そして、今でも乗ってみたい車であるこの車!

「スカイライン RSターボ R30型」ですね。
いわゆる、6代目スカイライン。
昭和56年10月に追加された、”FJ20E”型エンジンは、今までの名機”L20”型エンジンの直6からの変更で、直4になったがために「GT」いわゆる「スカG」が名乗れなかった世代のエンジンになりますね。
しかし、昭和58年2月、マイナーチェンジ直前にターボを追加した”FJ20ET”型エンジンを追加して「2000ターボRS」を発売。
これが、この大門軍団の「RS-1」であろう。
この後のマイナーチェンジで、”鉄仮面”の誕生を見ます。
三菱のこの時代は、対抗として2ドア、4ドアのあった「ギャラン」ですね。
昭和56年に”2000GSRターボ”を追加し、競合。
昭和57年くらいから、「スタリオン」を投入!
・・・・でもスカイラインには・・・・販売実績では・・・゚・(つД`)・゚・
石原裕次郎と・・・古き良きドラマの車でした。

院長の山口です。
私が小学生4年生頃に始まったテレビドラマ「太陽にほえろ!」は男の子は特に必ず観ていたと思います。
石原裕次郎さん扮する”藤堂係長”通称”ボス”は当時まだ30代であったが、なんかもっと年上に感じた記憶があります。
「太陽にほえろ!」がテレビで大当たりして、その後「大都会」と続き、かの有名な「西部警察」が始まるのである。
西部警察の撮影中に石原裕次郎さんは倒れられ、その後ご存知のように闘病生活ののち、昭和62年7月に亡くなられました。
私が大学を卒業した年に、裕次郎とゆかりの深い小樽市に「石原裕次郎記念館」がオープンしたのでありました。
石原裕次郎さんは好きでしたので、何回か行きました。
最後に見に行ったのは、2年前。
もう昔のように混雑はしてなかったけど、まあまあ来館者はおられました。
館内は撮影禁止でしたが、エントランスに並べられた撮影(西部警察)に使用された車は撮影OKでした。

右側のクルマは「日産 ガゼール」
石原裕次郎扮する小暮課長専用車である。
「ガゼール」は当時の「シルビア」の姉妹車で、結構短命な車であった。
やや「シルビア」より高級感を打ち出していたような記憶があります。
三菱で言うと、「ギャラン」と「エテルナ」?
トヨタの「マークⅡ」「クレスタ」「チェイサー」? カローラの「レビン」「トレノ」?
当時はこんな姉妹車が沢山ありました・・・

オープンカーで、裕次郎さんがドアを開けずに飛び乗っていた記憶がありますね。
左側のクルマは、「日産 フェアレディーZ 280Tバールーフ」 S130型ですね。
大門団長がショットガンを撃ちながら乗ってた車ですね・・・知らんけど・・・

特徴は、ガルウィングのドア!
なんでもこの車は、MTしかない車だそうだが、大門団長はMTの運転が苦手なためATになっているとの事w(゚o゚)w
当時の日産の名機「L28」エンジンという、”L”型エンジンである、
そして、今でも乗ってみたい車であるこの車!

「スカイライン RSターボ R30型」ですね。
いわゆる、6代目スカイライン。
昭和56年10月に追加された、”FJ20E”型エンジンは、今までの名機”L20”型エンジンの直6からの変更で、直4になったがために「GT」いわゆる「スカG」が名乗れなかった世代のエンジンになりますね。
しかし、昭和58年2月、マイナーチェンジ直前にターボを追加した”FJ20ET”型エンジンを追加して「2000ターボRS」を発売。
これが、この大門軍団の「RS-1」であろう。
この後のマイナーチェンジで、”鉄仮面”の誕生を見ます。
三菱のこの時代は、対抗として2ドア、4ドアのあった「ギャラン」ですね。
昭和56年に”2000GSRターボ”を追加し、競合。
昭和57年くらいから、「スタリオン」を投入!
・・・・でもスカイラインには・・・・販売実績では・・・゚・(つД`)・゚・
石原裕次郎と・・・古き良きドラマの車でした。
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杉津駅跡にて
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1枚の写真から・・・三菱コルト・ギャラン(初代ギャラン)
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Title: 今はもう昔の良きクルマ・・・石原裕次郎記念館にて >>
2018年
10月11日
(木曜日)
1枚の写真から・・・三菱コルト・ギャラン(初代ギャラン)
こんにちは
院長の山口です。
昨年の”1枚の写真から・・”で「三菱コルト」の写真を載せましたが、今度はこの車です!

コルト1000、1100、そして1500となった「コルト」のことを書きましたが。
コルト・ギャランの発表は、1969年12月の発売である。
この頃に三菱重工(まだ三菱自工ではない)はアメリカのクライスラーと合弁会社を設立して、北米での自動車生産を始めた時期。
この後の三菱のクルマが”アメリカン”なデザインが多いのはこれが理由であろう。
しかしこのギャランは、かの有名な”ジウジアーロ”の提案したデザインを参考にして発売されたためか、めちゃくちゃアメリカンな車には見えませんが、エッジの効いたデザインとに分割のフロントグリルが格好良くて結構売れたのである。
ちなみにジウジアーロのデザインした車といえば・・・・
有名なのは”デロイアン”(^-^)/
ご存知「Back to the future」に出てくるタイムマシーンの自動車ですね。
日本車もいくつかあります。
有名なのは・・・いすず自動車の”117クーペ”(=゚ω゚)ノ
それ以外にいすず自動車は、”ピアッツア”とか、街の遊撃手”ジェミニ”なんかも手がけましたね。
バブル期にスバルが発売した”アルシオーネ”なんていう車もありました。
当時・・「アルシオーネであれしようね!」なんて言葉もよく聞かれました(笑)
私は、”117クーペ”の後継であった、”ピアッツア”が出た頃、なんと日本にはない綺麗なデザインな車なんだ!と思った記憶があります。
思い切りギャランから話がずれましたが、要するに”ジウジアーロ”のデザインに思い切りアメリカンデザインを織り交ぜたものだったようです。
昔、「キイ・ハンター」という丹波哲郎や千葉真一が出ていたテレビの中で結構見た記憶があります。
スペックとしては
1500ccSOHCエンジン(4G31) もちろんFR
全長:4080㎜
前幅:1560㎜
全高:1370㎜
車両重量:855㎏
105ps/6700rpm 13.4kgm/4800rpm
最高速度:175km/h
0→400m加速:16.09秒
(ドライバー増刊日本のくるま100年 昭和49年 より)
このギャラン、実は強度的なことや重量バランス、エンジンも含めてとてもよく出来た車だったようだ。
天下のトヨタ自動車も、
「こんな小さな自動車会社が このような凄い車を作るとは・・」
と言ったとか言わなかったとか・・
(すいません!!私個人的な見解ですからお許しください○| ̄|_)
事実のちにギャランはレースやラリーに参戦していったのは周知のことですね。
そして・・・
約1年後、このコルト・ギャランをさらに人気アップさせたグレードを発売するのであった・・・・
その名も・・コルト・ギャランGTOo(^▽^)o!!
この年にトヨタから(焦って)発売された「初代セリカ(通称ダルマセリカ)」とともに、当時誰もが憧れの自動車でありました。
(すいません!!私個人的な見解ですからお許しください○| ̄|_)
しかし、叔父さん・・・・いろんな車乗ってたんですね・・w(゚o゚)w
ちなみに隣のクルマは・・・・ダイハツの”ベルリーナ”だと思います。!
知ってるかな~?(笑)

院長の山口です。
昨年の”1枚の写真から・・”で「三菱コルト」の写真を載せましたが、今度はこの車です!

コルト1000、1100、そして1500となった「コルト」のことを書きましたが。
コルト・ギャランの発表は、1969年12月の発売である。
この頃に三菱重工(まだ三菱自工ではない)はアメリカのクライスラーと合弁会社を設立して、北米での自動車生産を始めた時期。
この後の三菱のクルマが”アメリカン”なデザインが多いのはこれが理由であろう。
しかしこのギャランは、かの有名な”ジウジアーロ”の提案したデザインを参考にして発売されたためか、めちゃくちゃアメリカンな車には見えませんが、エッジの効いたデザインとに分割のフロントグリルが格好良くて結構売れたのである。
ちなみにジウジアーロのデザインした車といえば・・・・
有名なのは”デロイアン”(^-^)/
ご存知「Back to the future」に出てくるタイムマシーンの自動車ですね。
日本車もいくつかあります。
有名なのは・・・いすず自動車の”117クーペ”(=゚ω゚)ノ
それ以外にいすず自動車は、”ピアッツア”とか、街の遊撃手”ジェミニ”なんかも手がけましたね。
バブル期にスバルが発売した”アルシオーネ”なんていう車もありました。
当時・・「アルシオーネであれしようね!」なんて言葉もよく聞かれました(笑)
私は、”117クーペ”の後継であった、”ピアッツア”が出た頃、なんと日本にはない綺麗なデザインな車なんだ!と思った記憶があります。
思い切りギャランから話がずれましたが、要するに”ジウジアーロ”のデザインに思い切りアメリカンデザインを織り交ぜたものだったようです。
昔、「キイ・ハンター」という丹波哲郎や千葉真一が出ていたテレビの中で結構見た記憶があります。
スペックとしては
1500ccSOHCエンジン(4G31) もちろんFR
全長:4080㎜
前幅:1560㎜
全高:1370㎜
車両重量:855㎏
105ps/6700rpm 13.4kgm/4800rpm
最高速度:175km/h
0→400m加速:16.09秒
(ドライバー増刊日本のくるま100年 昭和49年 より)
このギャラン、実は強度的なことや重量バランス、エンジンも含めてとてもよく出来た車だったようだ。
天下のトヨタ自動車も、
「こんな小さな自動車会社が このような凄い車を作るとは・・」
と言ったとか言わなかったとか・・
(すいません!!私個人的な見解ですからお許しください○| ̄|_)
事実のちにギャランはレースやラリーに参戦していったのは周知のことですね。
そして・・・
約1年後、このコルト・ギャランをさらに人気アップさせたグレードを発売するのであった・・・・
その名も・・コルト・ギャランGTOo(^▽^)o!!
この年にトヨタから(焦って)発売された「初代セリカ(通称ダルマセリカ)」とともに、当時誰もが憧れの自動車でありました。
(すいません!!私個人的な見解ですからお許しください○| ̄|_)
しかし、叔父さん・・・・いろんな車乗ってたんですね・・w(゚o゚)w
ちなみに隣のクルマは・・・・ダイハツの”ベルリーナ”だと思います。!
知ってるかな~?(笑)
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1枚の写真から・・・島原鉄道
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2018年
10月04日
(木曜日)
診療時間変更・休診のお知らせです
10月18日(木)は、院長の所用のため、午前休診致します。
午後は通常どおり診療いたします。
皆様にはご迷惑をおかけしますが何卒宜しくお願い致します。
午後は通常どおり診療いたします。
皆様にはご迷惑をおかけしますが何卒宜しくお願い致します。
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年末年始休診のお知らせ
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臨時休診のお知らせです。
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