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山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん

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2018年

12月04日

(火曜日)

”鉄道の町”・・・・歴代の敦賀駅その1

こんにちは
院長の山口です。

前回は「鉄道の町」敦賀に新幹線が来るというお話でした。

そこで今回は、前後に峠越えが待ち受けた鉄道の町敦賀駅の歴史のお話です・

簡単に敦賀駅の歴史を書くと・・

明治3年、「東京ー神戸」と「琵琶湖ー敦賀」の測量を開始しました。。
琵琶湖と敦賀の物流は重要であったため、国としても重要案件だったのだろう。

当初は日本海と琵琶湖との間に運河を作る計画があったらしいが、さすがに大変とのことで鉄道敷設が選ばれたようです。

以前のブログに、敦賀駅は明治17年開業と書きましたが、実際は、敦賀港(金ケ崎)↔敦賀↔洞道口(柳ケ瀬隧道西口あたり)
の区間および柳ケ瀬↔長浜の区間の開業は、明治15年3月ですね。

そして2年後の明治17年に「柳ケ瀬隧道」が完成して、敦賀↔長浜間が全通となったのでありました。

ちなみにこの時の東海道本線は米原経由ではなく関ヶ原から北西方向に進み長浜駅に達していました。
これは長浜からの輸送を琵琶湖の海運に任せていたからですね。

長浜↔大津は船で結び、大津(当時は馬場)からは京都から伸びてきた鉄道(今の東海道本線)にバトンタッチして、京や大阪に運んでいたのであります。
明治13年、鉄道は神戸↔大津が全通しましたが、そこから東は琵琶湖の海運に頼っていたため、大津↔米原間の鉄道敷設はしばらくストップしていた様です。

明治22年。東海道本線が今のルート(大津↔米原開通)になると同時に、長浜↔米原も開通し、敦賀港で荷揚げされた米や魚などの物資が直接鉄道で京都・大阪方面に、そして名古屋方面にも運ばれることになったのでありました。

これが、ざっとした北陸本線と敦賀駅の歴史であります。


さて、明治15年開業当時にあった敦賀駅の場所は今とは大きく違っていました。

100616_1356~0001
場所的には、現在の気比神宮の前辺りだったそうですw(゚o゚)w
現在の敦賀駅のある辺りは・・原野ですね。

つまり、敦賀港からの荷物を運ぶのが目的でしたから、福井方面には向いてなかったのですね。

初代敦賀駅駅舎はこんな感じだったそうです。

IMG_2022_2018082812150228b.jpg
(~市制施行50周年記念写真集 ふるさと敦賀の回想~より)

駅前ですね。ずいぶんにぎやかです。


しかし、明治29年難工事を経て敦賀↔福井間が開業します。
この区間のうちの敦賀↔今庄間が後に”1000t輸送”の戦場となった杉津経由の路線であります。


この時、敦賀駅は大きく場所を移動することになりました。

それが2代目の敦賀駅となるわけです・・・・・ つづく


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