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山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん

山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG

2018年

12月06日

(木曜日)

”鉄道の町”・・・・歴代の敦賀駅その3

こんにちは
院長の山口です。

またまた前回の続きです。

明治43年に2代目駅舎が完成しましたが、その数年後に北陸本線として米原↔直江津間が全通。
”本線”とは名ばかりで、ほぼ全区間で単線非電化の細い動脈でしたが、物流や人の流れは大きく変わることになったようです。

この頃使用されていた機関車は、あまり資料がないが、2120型とかも使用されていたらしいがなんせ急勾配連続な路線。
たぶんかなり輸送量を制限しながら運んでいたのではないだろうか(あくまで推測です・・)

北陸本線が全通したころに、「9600型」機関車(通称キューロク)が生産され全国で活躍します。
大正2年頃から、さらに力持ちになった「9900型」機関車が生産されます。
「9900型」機関車は昭和の初めに形式変更により、「D50型」(通称デゴマル)機関車と名前を変えます。

「D50型」は力持ちで、すぐに北陸線にも配置されたようです。

昭和11年には、のちに”1000t貨物”の主役であった「D51型」機関車が生産を開始。
当然 1号機は敦賀機関区に配置されたとのこと。

この有名な力持ちの機関車「D51型」は、明治初期に掘られた断面積の小さな北陸線のトンネルが通過出来るように設計されたとか・・・・・知らんけど(*ノェノ)

話はずれまくりましたが、この頃の敦賀の様子です。

CIMG2774.jpg
(昭和12年頃)

右手下のほうにカーブを描いた敦賀駅が見えます。
端っこには”ラウンドハウス”が・・・\(^o^)/
上方は敦賀湾と敦賀港。
中央やや上側に見える黒い繁みが気比神宮”です。
初代敦賀駅は、この神社の南西辺りにあったとの事。

またこの年に敦賀町と松原村が合併して「敦賀市」となったのでありました。


・・・そして日本は戦争に向かって進んでいきました。

昭和20年、敦賀空襲により一面は焼け野原になったそう・・・(つω-`。)

CIMG2776.jpg
(”ふるさと敦賀の回想”より)

一面廃墟と化した街並みです・・・
この時に、敦賀駅駅舎も焼失してしましました。

日本中焼け野原になった街は数限りなくありますが・・・それでも鉄道は走っていました。

とりあえず、駅はすべての復興への先駆けです。

そしてとりあえず駅舎を建てました。

IMG_2296.jpg

バラック造りの駅本屋です。

一応これが3代目敦賀駅・・・となるのでしょうか・・・・・?
しつこく続く・・

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