FC2ブログ

山口歯科Blog | 大阪 天満・天神橋の歯医者さん

山口歯科より大阪市北区周辺の患者様に贈る歯の情報BLOG

2018年

12月03日

(月曜日)

近づいてきた・・・北陸新幹線敦賀延長!

こんにちは
院長の山口です。

鉄道の町として発展してきた駅というところが全国にあります。

私の独断と偏見で言わせてもらえば、例えば・・・
岩見沢駅とか・・・追分駅とか・・・米沢駅とか・・・坂町駅とか・・・黒磯駅とか・・・・・大宮駅とか・・・・横川駅とか・・・

関西で言えば、米原駅とか・・・福知山駅とか・・・和田山駅とか・・

発展したと言っても、必ずしも町の規模は大きいとは限らない。
その駅からの分岐線があったり、前後に峠が控えてたり・・・して鉄道施設が増え、職員が増え、「鉄道の町」と言われるようになったのだろうと思われます。

町に占める鉄道の敷地面積が広いというか・・車庫や機関区があるとか・・・そういう駅というのが見ていて楽しいですね。

そんな町のひとつ、北陸本線の敦賀駅まで新幹線が開通することが決まりました(・・前振りが長い(^_^;))

CIMG2783.jpg

北陸新幹線ですね。
敦賀までは開業は決まっていますが、その先大阪までどういうルートで行くかと言うこともほぼ決定しているようです。

前倒しもあり、あと3~4年少々で敦賀まで開業するのならば、なんとか見ることは出来るかもしれません(笑)

CIMG2784.jpg

用地買収はほぼ95%以上終了。
「新北陸トンネル」も掘削中です。

CIMG2785.jpg

そして敦賀駅ホーム場所も決定しており工事は進んでおります。


私はまだ北陸新幹線に乗車したことがありません。
乗ってみたいのは確かです・・・・が、


北陸本線と名乗る区間が・・・米原↔敦賀 だけになってしまう(T_T)
特急「サンダーバード」は、大阪↔敦賀間?
特急「しらさぎ」は、名古屋↔敦賀間?

になるの??

いや、それなら今だって大阪方面から「新快速」が乗り入れてるのだから、特急は廃止になるのか??
あれだけいろんな列車でにぎやかだった北陸本線の時刻表が寂しくなる(´д⊂)

いずれにしても、新幹線と在来線の乗換駅、小浜線への分岐駅・・・ということでまだしばらくは敦賀駅は”鉄道の町”であろう。


関連記事

2018年

11月27日

(火曜日)

Journey of a Songwriter以後の浜省の話   ”君が人生の時~Time of Your Life”

こんにちは
院長の山口です。

今年の浜省コンサートに見事抽選で当たりました!
3年ぶりです。

でも、今回はファンクラブ会員限定コンサート。題して

”Journey of a Songwriter ” since1975
Welcome back to The 70‘s
”君が人生の時~Time of Your Life”

つまり、浜省の70年代の曲をメインとしたツアーである。
IMG_2406.jpg


ファンクラブだけしか参加できなくても、それでも全員が行けないくらい人気があるのである。
関西では、大阪と神戸。
それぞれ2日開催されます。

大阪と神戸。第一志望、第二志望・・と書いて申し込みました。

今回見事大阪で見ることが出来ました(」*´∇`)」

6IMG_2404.jpg

場所は、前回とおなじ「フェスティバルホール」
音が良いんですよねーこのホール

IMG_2405.jpg

でも・・・・・
今回は3階なんですよね。゚(゚´Д`゚)゚。

前回は、1階の前から10番目だったのに・・・・

しぶしぶ3階に向かうのでありました。

IMG_2408.jpg

おおー!この距離!この高さ!・・w( ̄o ̄)w

IMG_2409.jpg

始まる前に軽く麦酒を!(=∀=)

70年代の曲、つまりデビューから1979年までだから、アルバムで言うと・・・

「生まれたところを遠く離れて」
「LOVE TRAIN」
「illumination」
「MIND SCREEN」
「君が人生の時」

の頃、つまり私はまさに小学6年~高校入るまでに当たります。
この頃は超有名なスタジオミュージシャンが多くレコーディングに参加してました。

水谷公生、林立夫、岡沢茂、佐藤準、石井宏太郎などなど・・・(°_°)

前にも書きましたが、浜省はタイムリーで聴いていた訳ではなく、レコードも買ったりとかはしてませんでした。
1979年に発表された”風を感じて”というCMソングで知ったのが最初でした。

この曲は、アルバムで行くと「君が人生の時」に収録されています。

いよいよ開宴!
生ギター1本スタイルで登場!!\(^o^)/\(^o^)/

オープニングは、”生まれたところを遠く離れて”ヽ(≧∀≦)ノ
・・・
全部はかけませんが、
”いつかもうすぐ” ”遠くへ”

このあたりは浜省自身の経験、大学をドロップアウト・・赤いヘルメットの学生運動・・・のことなんか語ります。

途中から、町支寛二さんも登場!
2台のギターの弾き語り!

そして1部ラストは・・・”路地裏の少年”\(^o^)/

ここでしばし休憩です。

2部スタート。
ここからはフルバンドで始まります!

アルバム「MIND SCREEN」は、じつは多くの曲の詩を浜省が書いてないんですね。
ご本人が書いた少ない歌のひとつ、”いつわりの日々”。
この曲がなぜか一番心に沁みましたね~ 
やっぱりフェスティバルホールは音響もサイコーです。

そして”風を感じて”はみんなで大合唱\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

ラストは当然、”君が人生の時”キャ(/ω\*))((*/ωヽ)ァァ

その後のアンコールもあり大変感動したコンサート。

最後に浜省が言ってました!

「もし80年代の曲をやるツアーがあれば来てくれるかい?」

絶対にやってください!!キャ━(´ェ`)━!!!
IMG_2407.jpg




関連記事

2018年

11月21日

(水曜日)

杉津駅跡にて

こんにちは
院長の山口です。

以前、”こんな見比べも・・”と称して、
「大桐駅跡」
「葉原隧道」
「葉原の大カーブ」
について書きましたが、最近「新保駅跡にて」を書きましたので、今度は杉津駅について書いてみます。

”1000t輸送”の戦地であった北陸本線の敦賀↔今庄間。

位置的には、
敦賀駅→新保駅→葉原の大カーブ→葉原隧道→杉津駅→山中信号所→大桐駅→今庄駅
となります。

この”1000t輸送”の戦いの中で途中ホッと息をつける駅。
それが「杉津駅」でした。

敦賀駅を出発すると、葉原隧道途中まではほとんど登り25‰の急勾配で、そこから少し下って「杉津駅」に到着しました。

海抜179m。はるか眼下に敦賀湾を望むそれは絶景の場所であった。
これは、当時の時代背景もあり、敦賀湾を一望。監視するためもありこのようなルートをとったとのことだそう。

いずれにしても、乗客は煙モクモクでトンネル内はとても窓なんかあけられず、また機関士達も窒息上等!で乗務していた過酷な区間(知らんけど・・・・)
ようやくトンネルを抜けるとそこに見える景色はホッとしたにちがいない。




・・・隧道を出ると突然に海岸の山のうえなり。見おろす限り渚の村まで、遥かに数百段の棚田あり、更級や田毎の月は物の数ならず。水皆白く光り海うつくし。
やがて杉津の停車場。風流を解する人この季節はここを過ぐれば、一列車くらいは遊ぶべき処なり。
ただし下まで降りては見どころかえって少なく、かつ登って来るのが用意でないよし。・・・

柳田國男の「北国紀行ー明治四二年ー」の中にも書かれている。



また、明治42年には、のちの大正天皇(当時は殿下)の乗られたいわゆる「お召列車」がこの駅を通過する際、この絶景に見とれて列車の発車を遅らせたという逸話があるそう。




「♪汽笛一声新橋を・・・」で知られた鉄道唱歌。
この第4集北陸編のなかでも、

「♪海のながめのたぐいなき  杉津をいでてトンネルに  入ればあやしやいつのまに  日はくれはててやみなるぞ」
と歌われている。

CIMG2706.jpg

これは、杉津駅を今庄側から撮影されたものですね。
待避線をはさんで相対式ホームと駅舎。そして、待避線には、「DD50」一次型の”1000t貨物”が見えます(゚∀゚)

向かって右手が海岸側になります。
昔はここから棚田が広がっていたとのこと。


CIMG2716.jpg

昔のダイヤをみると、この駅はつねに列車がいたそうな。
それだけ、輸送量も多くキャパオーバーしてたのだろう。


CIMG1080.jpg

これは、右側が山側だから上り列車、しかも「DD50」二次型がならんで停車してますね。
待避線(写真の左側)の列車は”1000t貨物”でしょう!
ホーム側は旅客列車だろうか?
いずれにしても、機関士がホッとしているようですね(〃▽〃)


CIMG2702.jpg

この写真は右手に駅舎があるので、向こうから下り旅客列車が到着するところですね。
左手のホームには、敦賀方面に向かう旅客列車が停車してます。

この列車はわかりませんが、短い編成の旅客列車は、補機も付くことなく「D51」単機でこなしてたようです。


CIMG2715.jpg

杉津駅を発車したあたり、この辺りは撮影地点として有名だったのでしょうか。

CIMG2714.jpg

敦賀湾がとてもきれいです。



さて、ここは今はどうなっているかというと・・・・・

CIMG2707.jpg

北陸自動車道上り「杉津PA」になってます。

CIMG2708.jpg

PAには、地元の小中学校の生徒さんが描いた杉津付近の蒸気機関車の画が飾られています。

ここからの景色はほんと綺麗です。

CIMG1033.jpg

葉原隧道を抜けたあとに広がる景色!
この後、鮒ヶ谷トンネルをぬけると杉津駅でした。

CIMG1043.jpg

向こうにみえるのは敦賀半島です。

CIMG2701.jpg

湾に突き出たポコポコとした小山は、今も変わりません。


敦賀側から来た列車は、ここで一息ついて、山中超えの急勾配に、そして今庄側から来た列車は、葉原隧道までの急勾配に挑んでいきます・・・・
関連記事

2018年

10月19日

(金曜日)

今はもう昔の良きクルマ・・・石原裕次郎記念館にて

こんにちは
院長の山口です。

私が小学生4年生頃に始まったテレビドラマ「太陽にほえろ!」は男の子は特に必ず観ていたと思います。
石原裕次郎さん扮する”藤堂係長”通称”ボス”は当時まだ30代であったが、なんかもっと年上に感じた記憶があります。

「太陽にほえろ!」がテレビで大当たりして、その後「大都会」と続き、かの有名な「西武警察」が始まるのである。

西武警察の撮影中に石原裕次郎さんは倒れられ、その後ご存知のように闘病生活ののち、昭和62年7月に亡くなられました。


私が大学を卒業した年に、裕次郎とゆかりの深い小樽市に「石原裕次郎記念館」がオープンしたのでありました。
石原裕次郎さんは好きでしたので、何回か行きました。

最後に見に行ったのは、2年前。

もう昔のように混雑はしてなかったけど、まあまあ来館者はおられました。

館内は撮影禁止でしたが、エントランスに並べられた撮影(西武警察)に使用された車は撮影OKでした。

IMG_1215.jpg

右側のクルマは「日産 ガゼール」
石原裕次郎扮する小暮課長専用車である。

「ガゼール」は当時の「シルビア」の姉妹車で、結構短命な車であった。
やや「シルビア」より高級感を打ち出していたような記憶があります。

三菱で言うと、「ギャラン」と「エテルナ」?
トヨタの「マークⅡ」「クレスタ」「チェイサー」? カローラの「レビン」「トレノ」?

当時はこんな姉妹車が沢山ありました・・・

IMG_1207.jpg

オープンカーで、裕次郎さんがドアを開けずに飛び乗っていた記憶がありますね。

左側のクルマは、「日産 フェアレディーZ 280Tバールーフ」 S130型ですね。
大門団長がショットガンを撃ちながら乗ってた車ですね・・・知らんけど・・・

IMG_1210.jpg

特徴は、ガルウィングのドア!

なんでもこの車は、MTしかない車だそうだが、大門団長はMTの運転が苦手なためATになっているとの事w(゚o゚)w
当時の日産の名機「L28」エンジンという、”L”型エンジンである、

そして、今でも乗ってみたい車であるこの車!

IMG_1212.jpg

「スカイライン RSターボ R30型」ですね。
いわゆる、6代目スカイライン。
昭和56年10月に追加された、”FJ20E”型エンジンは、今までの名機”L20”型エンジンの直6からの変更で、直4になったがために「GT」いわゆる「スカG」が名乗れなかった世代のエンジンになりますね。

しかし、昭和58年2月、マイナーチェンジ直前にターボを追加した”FJ20ET”型エンジンを追加して「2000ターボRS」を発売。

これが、この大門軍団の「RS-1」であろう。

この後のマイナーチェンジで、”鉄仮面”の誕生を見ます。


三菱のこの時代は、対抗として2ドア、4ドアのあった「ギャラン」ですね。
昭和56年に”2000GSRターボ”を追加し、競合。
昭和57年くらいから、「スタリオン」を投入!

・・・・でもスカイラインには・・・・販売実績では・・・゚・(つД`)・゚・


石原裕次郎と・・・古き良きドラマの車でした。
関連記事

2018年

10月11日

(木曜日)

1枚の写真から・・・三菱コルト・ギャラン(初代ギャラン)

こんにちは
院長の山口です。

昨年の”1枚の写真から・・”で「三菱コルト」の写真を載せましたが、今度はこの車です!

DSC01085_20181005120416245.jpg

コルト1000、1100、そして1500となった「コルト」のことを書きましたが。

コルト・ギャランの発表は、1969年12月の発売である。

この頃に三菱重工(まだ三菱自工ではない)はアメリカのクライスラーと合弁会社を設立して、北米での自動車生産を始めた時期。
この後の三菱のクルマが”アメリカン”なデザインが多いのはこれが理由であろう。

しかしこのギャランは、かの有名な”ジウジアーロ”の提案したデザインを参考にして発売されたためか、めちゃくちゃアメリカンな車には見えませんが、エッジの効いたデザインとに分割のフロントグリルが格好良くて結構売れたのである。

ちなみにジウジアーロのデザインした車といえば・・・・

有名なのは”デロイアン”(^-^)/
ご存知「Back to the future」に出てくるタイムマシーンの自動車ですね。

日本車もいくつかあります。
有名なのは・・・いすず自動車の”117クーペ”(=゚ω゚)ノ 
それ以外にいすず自動車は、”ピアッツア”とか、街の遊撃手”ジェミニ”なんかも手がけましたね。

バブル期にスバルが発売した”アルシオーネ”なんていう車もありました。
当時・・「アルシオーネであれしようね!」なんて言葉もよく聞かれました(笑)

私は、”117クーペ”の後継であった、”ピアッツア”が出た頃、なんと日本にはない綺麗なデザインな車なんだ!と思った記憶があります。

思い切りギャランから話がずれましたが、要するに”ジウジアーロ”のデザインに思い切りアメリカンデザインを織り交ぜたものだったようです。
昔、「キイ・ハンター」という丹波哲郎や千葉真一が出ていたテレビの中で結構見た記憶があります。


スペックとしては
1500ccSOHCエンジン(4G31) もちろんFR
全長:4080㎜
前幅:1560㎜
全高:1370㎜
車両重量:855㎏
105ps/6700rpm 13.4kgm/4800rpm
最高速度:175km/h
0→400m加速:16.09秒
(ドライバー増刊日本のくるま100年 昭和49年 より)

このギャラン、実は強度的なことや重量バランス、エンジンも含めてとてもよく出来た車だったようだ。
天下のトヨタ自動車も、
「こんな小さな自動車会社が このような凄い車を作るとは・・」
と言ったとか言わなかったとか・・
(すいません!!私個人的な見解ですからお許しください○| ̄|_)

事実のちにギャランはレースやラリーに参戦していったのは周知のことですね。

そして・・・
約1年後、このコルト・ギャランをさらに人気アップさせたグレードを発売するのであった・・・・

その名も・・コルト・ギャランGTOo(^▽^)o!!

この年にトヨタから(焦って)発売された「初代セリカ(通称ダルマセリカ)」とともに、当時誰もが憧れの自動車でありました。
(すいません!!私個人的な見解ですからお許しください○| ̄|_)


しかし、叔父さん・・・・いろんな車乗ってたんですね・・w(゚o゚)w

ちなみに隣のクルマは・・・・ダイハツの”ベルリーナ”だと思います。!
知ってるかな~?(笑)
関連記事

   |   | 

 カレンダー 

11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

 ブログ内検索 

 QRコード 

QRコード

 月別アーカイブ 

12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  11  10  09  08  07  06  05  02  01  12  10  08  07  06  05  04  02  12  08  07  03  12  08  07  03  02  01  12  11  08  07  04  03  02  01  12  11  10  08  07  05  04  03  02  12  11  10  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06 

 プロフィール 

yamaguchidental

Author:yamaguchidental
 
大阪市北区の歯医者さん
山口歯科ブログへようこそ!

山口歯科からのお知らせ、日常の診療のこと、天満・天神橋のこと、院長のひとりごとなどなど・・・時々遊びにきてください!